取り替え不可能なもの

取り替え可能かどうかという軸で見ると

マーケットでの価値が決定される
つまり、値段がつく
取り替え不可能なのもを提供すれば値段が高くなる
一生分の給料に値すると考えるのが結婚という契約だから
どこかに取り替え不可能なものがある
どこに取り替え不可能なものがあるのかを考える
人間というものは大抵が取り替え可能であって
たとえばセックスや食事なとでは取り替え不可能とまでは言えないと思う
取り替え不可能なのは時間共有の事実である
あるいは子供である
あのクリスマスをあの人とその教会で祈っていたという過去は変えようがない
子どもにとって世界で唯一父であり母である
個人にとって取り替え不可能なものであるから個人にとって命にも値するし生涯給与にも値する
取り替え不可能な食事とか
取り替え不可能な性愛とか
思いつかないのはやはり経験が貧しいからだろうか
取り替え不可能なものは本質的には時間であり
感覚の世界では子供である
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時間が取り替え不可能という事実は
実は脳の内部で構成されたことに過ぎないので
脳の働きを変換することで
時間は逆戻し可能かもしれないと構想することは出来る
しかし取り替えることはできそうにない
何を言っているのか意味が不明だと思うが
意識の唯一性の問題である
解離性障害の時には実際解離するけれど
取り替え可能というわけでもない
それなりに唯一の自分を生きる
取り替え不可能なものをパートナーに提供するという命題は
時間を提供するということだ
結果として、時間がたってしまえば、提供するものは何もない
だから老年は可能性が狭まる
そこを打開するには
空想と妄想しかないのだ