テキストによって意味されるものを論じるのではなくテキスト自体を論じる

テキストによって意味されるものを論じるのではなくテキスト自体を論じる行為が成立するが
はたしてそうなのか
脳が見る夢の内容ではなく、脳そのものを論じる行為が成立するのか
テキスト自体を論じることがすでに幾重にも意味されるものであるように思う
脳そのものを論じることが脳の見る夢であり、それは奇跡的に脳そのものと一致するのだ
だからテキスト自体を論じることがすでに、テキストの意味するものを論じていることにならざるをえない
問題は、そのような言葉を用いることで幸せが増加しますかということ