夫婦のオートマチズム

夫婦で始める“エクストリームコミュニケーション”:夫は納得、妻は満足――の会話ノウハウを探せ!
夫婦円満のためにはコミュニケーションが大切だと理解はしていても「何を、どう話せばよいか」でお悩みの人も多いのではないでしょうか。ごくごく普通の夫である私が試行錯誤の上に発見した、ちょっと変わった夫婦間コミュニケーションのノウハウについてお話します。

 夫婦間のコミュニケーションは難しいものです。付き合いも長いと、話題もなくなります。
 年中一緒に暮らしていれば、会話のネタも尽きてきますよね。夫婦円満のためにはコミュニケーションが大切だと理解はしていても「何を、どう話せばよいか」でお悩みの人も多いのではないでしょうか。
 これからお話しするのは、ごくごく普通の夫である私が試行錯誤の上に発見した、ちょっと変わった夫婦間コミュニケーションのノウハウについてです。
話したがる妻、話さない夫
 わが家では、妻はこんな会話をしょっちゅう私に仕掛けてきます。
 ねえ、アナタ。私たち、最近コミュニケーションが足りてないと思うの。いろいろ話さない?
 それはかまわないけど……例えば何を?
 いろいろよ、ふだんの生活のこととか……。日常生活とか、身の回りの出来事についてよ!!
 えっと、それは菅内閣の発足とか、宮崎の口蹄疫問題とか、小惑星探査機はやぶさの地球帰還についてとか? ワールドカップの対デンマーク戦で本田が決めた無回転フリーキックのこととか?
 そういう重苦しいのとか、サッカーの話題じゃなくて。
 じゃあ、いったい何を?
 ほら、そうやってコミュニケーションを避けようとする!(怒)
 そんなつもりはないよ、じゃあキミは何を話したいの? 提案してみて。
 うーん、すぐには思いつかないんだけど……。
 なんだ、自分で何を話したいかも分からないのか。
 なによ、アタシに丸投げしないでよ。ひどいわ。それってオトコの怠慢よ。
 えー、オレのせい?(言いだしっぺはお前なのに……)
 とにかく、夫婦としてもっと話し合うことがあるでしょう? 具体的な話題なりテーマはアナタに任せるから考えてくれる? それにしても、本田のフリーキックを話し合うってなによ、バカも休みやすみ言いなさい、だいたいアナタって人は……(以下省略)。
 ――このように、いつも私が悪者になってしまいます。
焦る妻、戸惑う夫
 どうやら妻には「夫と何を話せばよいか分からないが、何かを話さなければ、何かまずいことが起きそう」という漠然とした焦りがあるようです。神経質になるなよとなだめるのですが、妻の耳には届きません。
 さて、妻でさえよく分かっていない(!)夫婦で話し合うべきテーマを探せとの命を受けたものの、私にも見当がつきません。そこで、まずは「コミュニケーション」の定義について、改めて確認してみました。そして私と妻では、そもそもの定義に大きなギャップがあることに気がついたのです。
私の定義妻の定義
定義議論や意見の交換を通じて問題解決を試みる行為目的やゴールを設けぬまま言葉のキャッチボールをし、共感しあう行為
目的明確にするあいまいでOK
時間なるべく短時間で終わらせる時間はあらかじめ制限せず、気の済むまで続ける
テーマ事前に設けた議題をクリアする議題やテーマは臨機応変に変化してかまわない
成果成果を求める(新しい知識、両者間の合意、情報の習得など)共感しあう、互いの理解を深める
 うーむ、まったく正反対です。私の定義は妻には「事務的でドライすぎる。味気ない」と映るようです。互いの話がかみ合わないのも、無理はありません。
 「わが家も似たようなもんだ」とか「ウチの旦那、そんな感じだわ」という声が聞こえてきそうです。似た状況のカップルは多いような気がしますが、いかがでしょうか。
 むろん私としても、夫婦としてよりよいコミュニケーションをしたいとは思います。しかし、目的も意味もなく、ダラダラした会話に付き合いたくないのもまた事実なのです。
 そこで、夫側の要望である「話し合いには、目的や意味あるべし」と、妻側の「他愛なくてもよいから、言葉を交わして共感しあうこと」を同時に満たすテーマを本格的に探し始めました。
TVがキッカケで大激論
 答えの見つからないまま数週間が過ぎたある日曜日、たまたまTVで、性同一性障害を取り上げたドキュメンタリーを妻と見ていました。
 私は同意を求める口調で「もし自分の子がこういう障害を抱えたとしても、親としては寛容に受け止めて、支えてやりたいよなあ」とつぶやきました。ところが妻は、「とんでもない! 問答無用で勘当でしょ!?」と正反対の感想を述べたのです。私は面食らいました。
 「えっ、お前、そういうスタンスなの?」
 「あなたこそ、そんな考え方だったの?」
 これまで性同一性障害について夫婦で話したことは一度もなく、互いのスタンスは知りませんでした。ですが、そこは長年連れ添った夫婦です。お互いなんとなく「妻(夫)は自分と同じ考えだろう」とタカをくくっていたのでした。
 その後、私たちは番組そっちのけで互いの意見を激しくぶつけ合うことに。結論は出ず、互いに納得できぬまま、いやーな雰囲気で話し合いは終わりました。
 妻のことは理解しているつもりだったのに、ぜんぜんそうではなかった事実と、育児に関わる価値観にヘビーなズレがあった事実のダブルパンチに、私はかなりのショック。「話すことがない=互いをよく理解し合っている」わけではないと痛感した次第です。
 妻も少なからず動揺した様子。「ヤバイ、妻を不機嫌にさせてしまった。あんな同意、求めなければよかった。どうやって事態を収拾しようか……」と後悔していたら、予想外のセリフを言い放ったのです。
 「あなたの性同一性障害に対する考え方を、今日初めて知ることができたわ。あなたの意見には賛成できない部分もあるけれど、言い分は分かったつもりよ。長い付き合いだけど、まだまだお互い知らない面があるみたい。こういう話し合いができてよかったわ」
 確かに言われてみれば、結果的に衝突はしたものの、全力で短距離走を走りきった直後のような、心地よい疲労感もありました。そのとき、ひらめいたのです。妻と話し合うべきテーマとは、まさにこれではないのかと。
 “これ”と言われても何のことかわかりにくいですね。別の表現に置き換えてみると、
自分の中では確たる価値観があるのだけど、自分以外の人間には話したことのなかったコト自分が当事者になる可能性があるにもかかわらず、「他人事だから」と決め付け、意識の外に追い出してしまっているコト話しあうべきと薄々気づいてはいても、相手の本心を知るのが怖かったり、自分の素顔を見せるのが照れくさいがために避けているコトしかし、夫婦が長い人生を共に歩むうえで、一度は話しあっておいて損のないコト
 といったことになります。
名付けて、“夫婦間エクストリームコミュニケーション”
 そこで、そういったテーマをリストアップすることにしました。新聞、ネット、ラジオ、雑誌、TVニュースにいつも以上に注意を払い、何冊ものドキュメンタリー書籍に目を通し、さまざまな社会問題や事象を「もし自分が当事者だったら」という視点で拾っていった結果、3週間で約150個も発見できたのです。
 それらをカテゴライズしてみたところ、以下の14のカテゴリに落ち着きました。
金銭感覚教育/育児住居/財産/資産仕事/キャリア習慣/くせ/生い立ち趣味/嗜好/思考健康/病気家事/食生活/日常生活夫婦/人間関係社会問題/政治親/家族/親戚道徳/倫理老後/ライフワーク死
 重々しいテーマがズラリと並びました。見るからにヘビーでナイーブなものばかり。ある意味、究極のコミュニケーション対象といえるでしょう。そこで私はこれを、“エクストリームコミュニケーションリスト”と名付けました。
 そして実際に妻と、150のテーマを1週間かけてすべて話し合ってみました。
 あるテーマでは侃々諤々(かんかんがくがく)と議論をし、別のテーマでは意外な発見に驚きあったり、ときには互いに腕組みをして悩んだり、思いを言葉でうまく表現できずに地団駄を踏んだりしました。クタクタに疲れはしましたが、濃密な時間を過ごすことができました。
夫婦間のオートマチズムの一里塚として
長年連れ添った夫婦でやっても新しい発見はあるでしょうし、新婚さんや結婚前のカップル同士でやれば、今以上に互いを理解しあえることうけあいです。
 ただ、結果的に(我が家での性同一性障害のスタンスのように)パンドラの箱を開けてしまうことになったり、逆にケンカの火種を作る可能性も無きにしもあらず、です。そこは自己責任でおこなっていただくということで。
とはいえ妻の、
 お互いの価値観を深く理解しあえて本当によかったわ。結論が出なかったり、意見が食い違うこともあったけれど、それが発見できたことも収穫ね。150のリスト以外にも話すことはあると思うから、これからも続けていきましょう。私も意識して探してみるわ。ただひとつ心残りなのが、結婚前にこのエクストリームコミュニケーションができていたらもっとよかったのに。
 という感想が、われわれにとって有意義だったことを物語っています。
 サッカー元日本代表監督だったオシム監督の語録に「私は結婚して40年になるが、まだ嫁とオートマチズムは取れていない」というのがあり、思わず苦笑いしてしまったことがあります。
 私も妻も、オートマチズムには程遠い未熟な夫婦ではありますが、今回の対話をキッカケに一歩成長できた手応えがありました。この連載が、“みなさんと、みなさんの大切な人との間のオートマチズムの一里塚”になることを願っています。