坂口三千代 ひとりという幸福

坂口三千代 ひとりという幸福
この題名からして、坂口安吾との生活は地獄だったということになります。ヒロポンやら覚醒剤やら酒を盛んに飲んで暴れるのですから、女房としてはたまりません。安吾は高校生時代、国体にでも出るぐらいの走り高跳びの選手だったので、体力もあり、背も1メートル80センチほどあり、それが暴れるのですから手がつけられません。何度も留置場に入れられ、いくら作家として有名でも、彼が近所にいると、まわりははた迷惑な人間としか思わないでしょう。しかしこういう御仁は早死にします。三千代に子供ができその子が一歳にもならないうちに脳梗塞で50歳で(昭和30年)安吾は死にます。三千代、32歳のときです。三千代は自活のために、銀座にクラブを開き、文士仲間や出版関係者でにぎわいます。安吾がまともなとき、三千代が「あなたが死んだら、私は路頭に迷うでしょう」と言ったら、安吾はこう答えたということです。「いいや、オレの女房だといえば生きていけるよ」まさしく安吾の予言はあたり、三千代はこのクラブを昭和59年(61歳)まで続けます。その間一人息子の綱雄も「写真家」として大成します。(大成したかどうかはわかりませんが、この本では綱雄が写真学校を出て、アシスタントをしていると書かれています)この綱雄も「安吾と三千代と40の豚児」という本を平成11年に出しています。彼が一歳になるかならないうちに安吾は死んでいるのですから、安吾に対しての実体験はないにしても、母親からまた安吾の著作物からいろいろ考えることもあるでしょう。
三千代の書いた「クラクラ日記」が、昭和44年、主演に若尾文子、安吾役に藤岡拓也でテレビ放映され、安吾以上に有名になりました。三千代全盛期のときです。