それほど極端な例が多いわけではないけれど
たとえば夫婦で、いつも奥さんが
「うちの亭主は馬鹿で愚図だ、おかげでわたしは損ばかりしている、早く別れたい」
と言い続けているとする
そもそも夫婦になったはじめの頃を考えれば
お互いふさわしいと思ったから夫婦になったはずであって
それなりに似合いの二人であったはずなのだと思う
その後の人生の航路が二人を大きく隔てたという場合もある
それも実際にはあることで
夫は会社で人格を形成し
妻は家庭やパートで人格を形成し
微妙に食い違う部分も多くなったりする
しかしそうではなくて
専門の言葉では「スプリッティング」と呼んでいるが
ふつうの人間には内部に当然いい自分もあるし悪い自分もあるし
完全無欠でもないし完全極悪でもない
ほどほどによいしほどほどに悪い
それなのに
よい自分は自分の内部に残して
悪い自分は外部に投影して
この場合であれば、自分の内部の悪い部分は夫に投影して
処理してしまう場合がある。
そうすると自分はいつも悪くなくて守られている。
何か悪いことが起きてもいつも夫のせいで
自分はいつも被害者である。
そのような防衛機制というか「納得の仕方」が形成される場合がある
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現実を生きていればいつも思うとおりにいかないのは当然である
思うとおりにいかせないと気が済まない人の一部は強迫性障害というものになる
思うとおりにいかせるためにほとんどすべてのものを犠牲にする
また一部は都合の悪い部分を全部他人のせいにして
生きる人もいる
一種の性格障害である
また別の場合には都合の悪いことが起こると全部自分のせいだと自分を責める人もいて
それもネガティブな思考に支配されているといえるだろう
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悪いことが起こると他人のせいで
特に配偶者を責めて、怒って、それで憂さ晴らしするパターンになると
配偶者はたまらない
経済的側面とか
世間体とかでよほどメリットがあれば我慢するけれど
最近の世の中はそのような我慢が続く社会でもない
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解決の方向としては、
よい自分と悪い自分が自分の内部に同居していることをまず認めて
それを他人のせいにしないことだ
他人を怒っていても
何も解決にならないと知ることだ
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怒られた方も
よく考えてみて欲しい
自分が悪いのではなくて
ひょっとしたら相手が自分の内部で消化しきれずにいる部分を自分に投影しているだけではないかと