統合失調症 Schizophrenia と
発達障害 Developmental Disordersを比較したいのだが
実はなかなか微妙である
両者の概念には幅があり重なる部分もある
一般的に言えば統合失調症は一旦脳機能が完成して(100)
その後にやや崩壊する病気である(例えば60)
発達障害は脳の機能発達にばらつきまたは遅れがあり
18歳程度でもややばらつきが見られるもの(たとえば60)である
発達障害はゆっくりとではあるが成長しているのだと説明される
いつかは100になるかもしれない
統合失調症は100に一度当達してそのあと徐々に崩壊していくので
発達障害とは向きが逆になる
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症状の内容で言えば
統合失調症は自己意識の障害があげられ
発達障害は三組があげられる
(1.かかわりの障害:相互的な社会関係の質的な障害がある。
2.コミュニケーションの障害:言葉のあるなしにかかわらず、その社会的使用が欠如している。
3.こだわりの障害:狭小で反復性のある常同的な行動・関心・活動がある。)
最終的にはコミュニケーションの障害があるので重なる部分がないではない
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たとえばNTTの障害といえば「電話ができない」ことが一番大きな症状になる
内容としては通信線の断裂、電源遮断、中継所破壊、末端電話機故障など、いろいろな障害があるが
最終的に利用者が訴えるのは『電話ができない』ということだ
人間が他の人間と充分なコミュニケーションができない事態は
NTTでいう「電話ができない」ことだ
人間が他人を観察したり診断したりするときに精神機能としてはやはり最も
前面にコミュニケーション障害を感じるものだと思う
顔にほくろがあるとかと同じ
水泳ができる、できないで人間を区別する人もいないだろうが
それは人間にとって水泳がほとんど全く不要のものだからだ
ましてや水泳が100メートルとか1000メートルとか区別しても仕方がない
クロールで100、背泳で200、平泳ぎで1000、これはばらつきがある
などと言ってもしょうがないことは分かるだろう
しかし知能に関してはそのようなばらつきを語る
知能発達遅滞が始めて知能発達遅滞が継承しているので仕方がない
それ以上の考えは出ない
知能なんて言うものも生存の道具に過ぎないので
しかも測定できるようなものは些細な部分である
測定する人間の程度を見ればわかるのであって
それ以上の言及は不要である
人間の脳機能の最上位機能と言われるのだが
そのように決まったものでもない
予知能力を測定して分類して数値化する人がいないのも不思議だ
いかにも好きそうなのに
神との交信能力なども上位機能の一つとしてあげられていいのに
無視されている
つまり、資本家にとっ『有能』とは金にならない予知能力でもないし
金にならない神との交信能力でもない
もくもくと農作業をしてもくもくとエクセルを操作する能力であって
それを測定しているだけのことだ
そのような自覚のない程度の資本家の使いっ走りだから学問と言うにも足りない
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統合失調症は脳のいろいろな壊れ方を含んだ複合概念である
発達障害は脳のいろいろな発達のプロセスを含んだ複合的概念である
非常に仔細に観察すれば
一旦100だったものがわずかでも低下する事態は誰にも起こることで
統合失調症か否かは程度の違いである
また非常に仔細に観察すれば
その人にとっての脳の発達がいつ停止するのかは分からないことになり
いつまでも発達途中とは言える
普通に考えてただ生きていくだけなら
自動販売機でモノを買うくらいで間に合う
60でいいのだ
だとすれば統合失調症でも発達障害でも支障はない
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考えて見ればコミュニケーション能力というものは
他人をいつも前提としているので
相手が脳の発達が悪い場合にはコミュニケーション能力を使い切れない
いつもコミュニケーション能力の低い方に合わせる必要がある
世界で一番コミュニケーション能力の高い人は使う場面がないので無駄というものだ
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人間はコミュニケーションのために存在しているのではなく
コミュニケーションが人間のためにある
さらに人間はDNAの乗り物である
それならDNAの出来不出来を判定したほうがいいのだがまだできないというだけだ
取りあえず出来ることで商売をする人達がいる貧しい社会なのである
知的にも経済的にも
悲しいことだ