何か人がひそひそ話をしている
そのとき話の内容がはっきりと分からないのに
自分に関係づけて
私の悪口を言っていると考えてしまうのは
なぜだろう
特殊な病気だというなら
それもあるだろうが
そうではなくて
とても普遍的に見られる現象である
テレビで噂をされたり悪口を言われたりするような有名人ではないのに
どうして
私の悪口を言っていると思うのだろう
そのような感じ方も
とても普遍的である
この二つの例を比較してみると
多分、テレビを見ていても、内容が判別不可能なひそひそ声と同じくらいに意味不明な部分があるから
自分に関係づけるのではないかとの
疑いはある
これは
認知は間違っていないけれどもその意味づけが間違っているという
妄想の二節性の説(シュナイダー)とは反対の考えで
まあ、言ってみれば異端だけれど
でも、そんな風に考えた方が理解しやすい面はある
認知そのものにどこか間違いがあり
それは一貫していて
それを補うために妄想を発展させる
そのように考えれば
分かりやすい面はある
つまり、
意味不明の状況では
とりあえず自分に不利が状況があるかもしれないと
警戒した方が生存割合は高くなるから
被害的な妄想が生じてもおかしくはない
そこまでは了解可能と言うことになる
ではなぜ意味不明になるかと言えば
認知機能の
純粋に生物学的な欠損が生じている
と考える
脳には多様な障害が生じてもいいのに
観察される障害は
なぜか被害妄想が多い
このことは被害妄想は実は原発性のものではなく
原発性の脳機能障害を補うための、よくある反応と考えれば
納得がいく
脳ではさまざまな欠損が生じていて
そのことを個別に測定する技術が現在はないのだけなのではないか
そしてわれわれが現在観察できるのは
それらの欠損を補うための生体の反応だけなのだろう
それが被害妄想なのだと思う
クーラーの音の中に人の声が聞こえて
それが自分の悪口に聞こえるという場合が
典型的であるが
曖昧で意味不明の状況では
被害的な反応も普遍的なのではないか
だとすれば
一般の人にとっては意味明瞭な場合でも
意味不明なレベルになる程度の欠損が起こっている可能性がある
例えば赤緑色盲の場合などが
そうであるが
生活の大部分では不自由なく暮らせる
信号が見分けにくいとは言っても
周囲の反応に会わせるとか
明暗を手がかりにするとかはできる
しかしそんな場合にも
ある設定では意味不明になってしまうはずで
そのようなことが続いていれば
やはり被害的な意味づけをするのではないか
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一般に妄想・幻覚と言って、
「ないはずのものがある」などとも言っているけれど
大変不正確な表現だと思う
妄想は上に述べたように反応としてとらえることができる部分があるのだし
幻覚については
幻聴と幻視はかなり性格が異なると言われていし
私もそう考える
幻聴のなかでも
要素性の幻聴が幻視に相当するもので
幻聴で聞こえる声は
「意味そのもの」を「感覚している」のであって
誰のどんな声であったかは抽象化されていて分からない場合も多い
自分自身の内心のつぶやきを考えると
それは意味として、かつ声として感覚されているのであって
内心のつぶやきは自分のものであるからと言って自分の「声」が話しているというわけでもない