過食嘔吐の手記

採録 男性例
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過食症 を患ってこのかた、15年余りになります。(注:2002年当時)
私の場合は、過食だけではありません。
もうこれ以上入らない!というところまで食べ物を詰め込んだあと、まるで胃袋を裏返しにするように指を突っ込んで吐いてしまうのです。 ヤセたい、でも食べたいというジレンマを最もこざかしい手段で解決しようと試みました。
ところが、
ほどなくして嘔吐そのものに快感を覚えてしまいました。イライラすれば吐き、不安になれば吐きました。そして、何もすることが無くても吐いていたのです。
仕事と寝る事以外の時間をすべて食べ吐きに費やしていました。 出勤前にコンビニに買い出しに行って「ひと吐き」。職場ではみんなと昼食を食べたあと トイレに駆け込み、嗚咽を水の音でかき消しながら吐きました。
パン屋めぐりもしました。一つの店で大量に買い込むと怪しまれると思い、街中を歩き回りました。 店を ハシゴしたことがばれないように、買ったパンは袋ごとリュックサックに詰めこみ、隠して家まで帰りました。
  デパート の地下では惣菜を買いあさり、その場で食べたくて、売り場のトイレブースの中で平らげたこともあります。食べ終わった後、それまで腰掛けていた洋式トイレにひざまずいて、指を突 っ込んで…。さすがにこれには自分でも情けなくなり、家に帰って自己嫌悪のあまり大声で泣きました。
「もう止めよう、今日限りにしよう!」
何度そう思ったことでしょう。しかし決心はいつも あっけなく崩れるのです。家に居ても、お米を炊いては食べ、吐くということを一日に何度も繰り返しました。自分に嫌気がさして、ついには自宅の炊飯器までも処分しました。それでも過食嘔吐は止まらなかったのです。自助グループとの最初の出会いは、この頃にさかのぼります。書店でダイエットの本を探していたところ、ぐうぜん摂食障害者の体験談を集めた本を見つけました。
そこには、わたしと同じような体験を持つ人たちの、生々しい話が載っていました。
「こんな異常な 行動をしているのはわたしだけではないか」…日々そう悩んでいた私は、なんとも救われた思いがしたものです。
ゲロ と涙と鼻水にまみれていた頃は、過食さえ止まればすべてが解決すると思っていました。 でも現実は甘くありませんでした。
じつは2007年から2、3年ぐらいの間、過食嘔吐をほとんどしなくて済んだ時期がありました。ある所での人間関係がきっかけで、うつ状態になったのです。早い話、食べ吐きをする気力すらなくなったのです。
自分の体が自分のものだという実感がありません。
このまま地面に吸いこまれて消えてしまいたい、太陽の光がうっとうしい、夜がいつまでも続けばいいと思っていました。
過食嘔吐 というストレスの発散手段(まさに吐け口!) をやめると「うつ」になる、「うつ」の症状が軽くなれば、過食の欲求が真っ先に復活してくる…もう食べ吐き だけの問題ではない…そう感じたときに、ふと思い出したのがAAでした。初めてミーティングに行ったときから、もう5年以上も経っていました。
「飲もうと思ったときには、もうグラスを手にしている」と話した方がいましたが、 わたしが過食嘔吐するときの行動と全く変わらないのです。私も、気がついたら食べ物をものすごい 勢いでつっこんでいて、あとはいかに吐くかという事しか考えません。 そこには理由もありません。
ミーティングで学んだのは、言葉の持つ力の偉大さでした。 不安や怒り、孤独感は、ほうっておくと過食の衝動を招いてしまいます。しかし感情を言葉にして誰かに聞いてもらうことで、 自分が何に囚われているのか気づかされるのです。
あるとき、こう言われました。 「自分の内面を見つめるということは、相手の立場でものを考えることだ。自分だったら、 こんな時どうするだろうってね。」
今まで、ああでもない、こうでもない、どうして自分 ばかりが…と頭の中をこねくりまわしていたわたしは、目からウロコが落ちました。 ふさがっていた目と耳が、一気に開いたようでした。
ミーティング に通い始めて、 三ヶ月が経とうとしていた頃です。
高くそびえる銀杏の木が目にとまりました。 葉は見事に黄金色に染まって、澄みきった秋空を背景に一段と映えていました。その姿に、 ひきつけられるように木のそばへ歩み寄って行きました。足元はさながら黄色いじゅうたんを敷きつめたようでした。 私はしばし見とれてしまいました。降りつもる落葉は、一枚たりとも同じ色をしていませんでした。
ああ、きれいだな。
そして気づいたのです。私がうつの闇の中に居たときも、 自然は淡々とその営みを続けていたことを。止まっていたのは、わたしの時間だけだったのです。
わたしは「過食がおさまれば、すべてがうまくいく」 と思っていました。でも本当は、「食べ吐きをしなければやっていられなくなる」 ような生き方こそが問題だったのです。
自分の意思さえしっかりしていれば、食欲なんてコントロールできるし、そうすべきだ、 とずっと思っていました。世の中にはそれができる人がいるでしょう。でもわたしはできないのです 。「何か」のせいで、わたしは本能の扱い方を誤ってしまったのです。
しかし、「わたしの力ではどうにもできない」のは食欲だけでしょうか?
  わたしは、自分の力ではどうすることも出来ないものをコントロールしようとしてムキになり、 やがて狂気に乗っ取られてしまうのです。自分が変えてゆけるものなんてほんのわずかで、 私の関心や行動が常にその「わずかなもの」に対してなされることでしか、 心の平安が訪れることはないのでしょう。
今でも、過食嘔吐の欲求はひんぱんに起こります。 嘔吐の快感は体にしみついているし、体型へのこだわりが完全に消えてなくなることもないでしょう。 治らないもの、変えられないものを何とかしようとするより、今日一日をよりよく生きていくことに 心をくだく方が大切だと、自分に言い聞かせています。
ところで、 お酒についてはとんでも ないオチがついてしまいました。2
002年、AAのミーティングに通い始めて半年ぐらい経った経っていたでしょうか。
AAのメンバーと夕食を一緒にとっていました。当時の私はまだお酒の問題を認めていませんでしたから、同席していたメンバーの了承をもらってワインを飲みました。そしてブラックアウト (いわゆる「酔っていたときのことは覚えていない」という状態)を起こしたのです。 酔いにまかせて、メンバーに対して、皮肉や暴言、陰湿な言葉を吐いたらしいのです。ほんとうに覚えていないのですから、申しわけないけれど「らしい」としか言いようがありません。
決して親のようにはならないと思っていたのに…。
私が社会的にも経済的にも自立することができなかった頃、父が私にしたことは、今でもすべてを許すことはできません。でももしかしたら、 父こそが、私の飲酒の問題を「もっとひどいものにしなかった」唯一の存在だったのかもしれません。
わたしの病気は、不安から逃れるために嘘をつき、いつしかその自覚すらなくしてしまいます。 誠実さを奪い、相手をコントロールするためなら、求めている答えを聞き出すまで問いただそうと さえします。
今日も一日、不安や怒りにとらわれる時間が、少しでもなくなりますように。 読んでくださって、ありがとうございました