映画ダークナイトに触発され何か脳のどこかがactivateされたようで落ち着かない
スーパーマン=正義の顔をした正義、レックス・ルーサー=正義の顔をした悪、バットマン=悪の顔をした正義、ジョーカー=悪の顔をした悪
「欲求の階層」とは、もともと心理学者エイブラハム・マズローが提唱した概念である。マズローによると、人間が生存するために絶対に必要なのは「食べ物と飲み水」である。これが不足状態にあると、他のことは何もできない。これが充足されると、人間の欲求は第二階層へと移り、「安全に保護された環境」(暑さ寒さをしのげる家)を求めるようになる。これが充足されると、第三階層「愛、家族、親密な人間関係」へと移る。これも充足されると、第四階層「自尊心」を求めるようになる。そして最終的には、第五階層「自己実現」へと至るとされている。
マズローは私なりに言い換えると最初は臓器・個体生存 食べ物と水、安全次が生殖でDNA 愛とか家庭次が脳 自尊心次が魂 自己実現というように焦点が移動していると思う
臓器・DNA・脳・魂、このそれぞれでコンフリクト(葛藤・せめぎ合い)が生じる葛藤状態をアンビバレント(二律背反)と言ったりもする
スーパーマン=正義の顔をした正義、ジョーカー=悪の顔をした悪このふたつは内部矛盾がないのでコンフリクトは少ないわけですこの状態を内部統合性(インテグリティ)の高い状態といいます
レックス・ルーサー=正義の顔をした悪、バットマン=悪の顔をした正義、この二つは当然ですが内面的にはアンビバレントで非常にコンフリクトする
心理学ではcore conflict と呼んだりしますが中心になる葛藤を何度も繰り返すタイプ一生を通じて何度も、家庭でも職場でも友人関係でも、診察室でも、夢でも、という具合
コンフリクトはきついですね、正直バットマンを見ていてもそれは思う
しかしだからスーパーマン=正義の顔をした正義、ジョーカー=悪の顔をした悪がいいかといえばそうでもなくて本人はインテグリティを保持できていいのかもしれないが周囲はそうでもない
スーパーマン=正義の顔をした正義、ジョーカー=悪の顔をした悪が悩まない分を悩んでいる人がきっといるわけです
だからスーパーマン=正義の顔をした正義、ジョーカー=悪の顔をした悪は葛藤を外部委託しただけで本質的には解決していないんですね
コミックで言えばスーパーマンがどんなに内的に自分も納得できて外的にスーパー強くても現実の悪は解決しきれずに常に存在する
それなのにスーパーマンが内部でインテグリティに到達しているのはやはり問題があるわけなんですジャスティス・リーグとしては
その点ではバットマンのほうが分かりますね周囲に対して親切というか周囲に悩ませないで自分で悩んで引き受けている
それがいいのかどうかはなんとも微妙ですねダークナイト・オブ・自分を抱えてしまうわけですからスーパーマンは回避してしまっている
たぶん、スーパーマンと酒を飲んでも平たい話しかできないでしょうね泣かないな、スーパーマンは、本質的には
観念としての絶対善、利己的な正義、懲罰手段としての必要悪、観念としての絶対悪と並べてみると明白ですね利己的な正義というのも一応内部で納得はしやすいでしょうね正義の顔をした悪最終的には悪をしようとしているわけでその方法が正義なんだからまあ一応、最終目標が悪と確認出来ればそれで葛藤は軽くなるんですね
バットマンは立場悪いですよねジャスティス・リーグの中でも目的は正義なんだけれども方法は悪なんですから
だから、人殺しを死刑にするって、人殺しが悪いことならさらに国家として死刑という殺人を・悪いことをしてしまうんですかと皮肉を言われることになる
それは屁理屈というもので、そんなものにはとりあわない、バットマンは一人で耐える、内的に矛盾を抱えて生きる、というところに、難しいヒーローが成立する
ーーーアメコミでこんなふうに分かりやすく描かれているわけだけれども個人が生きる中ではまあ、普通、悪を目指すということはなくて、それは病気の部類なんだろうから、どのレベルかでの違いはあるけれど正義を目指すものとする
その正義がどの範囲の正義かでまた問題は起こり葛藤になるおじいちゃんを騙してファンドを売るというのもどの範囲で考えるかで正義なのか悪なのかが違ってきてしまう
エスキモーに氷を売ってそれって正義なのか悪なのか、立場の違いなのか
利他的利己的も微妙な例を沢山作ることができてそれだけ悩む局面が多いということになる。
医者の仕事とかはそのような葛藤があるにはあるけれど比較的少ないしその専門家もいるわけで一応悩みの外部委託も出来る