どんなに高いハードルでも関係ないと思えるような
唯一無二の出会いが世の中にはあるものだと痛感する
男性で言えば、その女性に会っていると、バイアグラを飲んだ状態になります
それはもう次元が違うんですよ
(なんて力説している私は恋愛体質なんですね)
実際、本当にバイアグラ飲んだ時と同じ状態で身体状態が明らかに違うんです
バイアグラ飲んでもすぐにエレクトするのではなくて
心臓は軽度に持続的にドキドキして体中の毛細血管が拡張して
首から上は火照っていて何だか脳に血液が集まるような感じもして
鼻が詰まるんです
それと同じ反応がバイアグラを飲んでいないのに
その女性に会ったときだけ、それも話をしただけで、起こる
見かけただけでは起こらないです話をしていると起こる
これを知らない男性が恋愛とか好きとか言っていても
おままごとのような気もする
ひょっとしたら知らないほうが幸せというものでもある
自分でもどうしようもないし、女性もどうしようもない
その気持ちに忠実に動いたとして社会的に有利なものとは言えない
その時点では女性も身体で反応して乳首が痛くなり濡れているに違いないと
こちらとしては確信するものの
それはこちらから見た期待でしかないかもしれない
こんなことを確認できるような関係でもないし、そんな男だと思われたくなかった
次元が違うっていうのは確かにある
というか本当にあったことで
私の恋愛観は根本的に変わった
「いい人だなあとか、きれいだなあとか、素敵だなあ」とか
それはたとえば薔薇の花を見てきれいとか言っているのと同じなんでしょう
これは違うんです
(まあ、こんな事言っていてもしかたないなもうこれは語ることではなくて実行することなので)
でもね。アホなひとがいたとして、単に軽はずみで、女が好きという場合と、上に書いたような特別な場合と、やはり区別がつかないんですよね、他人には。
そしてアホな男にも区別が付いていない。好きとはこういうことかとそれぞれの人が思っているだけで。
富士山に登った人だけ高い山はこんな感じかと感得できるわけでそうでない山に登って高い山だと感じていてもまあ、それはそれで、高い山には違いないし富士山よりも高い山もいくらもあるので富士山だからと威張るものでもない
いままで、女性に多いのだけれど、
この人ダメ、この人なんとなくよい、というような直感判断があり、
それはうっすらとではあるが
私の脳内バイアグラ体験と似ているのかもしれないと思って確認すると、それは明白に違うという
男女の性欲はこんなにも違うし惚れるという内実もこんなにも違うわけだ
これって説明できないし、共有できないし、しかし本人にとっては
あまりにも自明のもので否定しようもない
しかしまあ直感も時間がたてば
ドキドキ感とかなくなるけど、もっと大きく、深く、穏やかなものに
なるというような感じではあるのだろうがいまのところは完全にドキドキ持続で脳内バイアグラが出続けている
知り合いの男性、8年間思い続けて、7回つきあってと言って、断られ続けた末、8年目に女性から連絡があり、つきあうことになり、2年つきあって3年前に結婚した。
それくらい好きな人と結婚すると、もう全て彼女だったら何をやっても何をいわれてもいいと思うらしく、
一緒にいられることがいつも幸せに思えるらしい
両方が思っていて無理をしないで自然にしていて
そのことがお互い自然で心地良いというような関係性
そこまで思えるのはそれ自体すごい
相手に対して、何も望んでいない
自分のそばにいてくれること以外は望まない
しかし私の場合はどうしても教育したくなるし自分好みに調教したくなるし
完全な一致を求めるし
もっとよくなれるならなりたいと希求してしまう、ような気もする
素材としては100点としてそれなら次は磨きたいと思ってしまう
自分勝手は承知だし
それが世間でいう俺様なんだよと言われそうだけれど
自分としてはそれとは少し違うレベルで素顔のままでいいんだよと100パーセント認めてしかし次の段階があるのだと誘惑したい感じだそこまで行ってはじめて誘惑できるそんな感じがするのだけれど説明も難しい
このあたり、もう少し言うとプレとトランスの錯誤だ
たとえば原始的な土俗信仰的な宗教、あるいは程度の低い信仰、
それらと、真に精神性の高い信仰行為、悟り、awarenessと
私にすれば明らかに違うわけです
しかし、近代合理主義者は宗教というだけで「ああ、宗教ね」と片付ける
これは低次元のプレと、高次元のトランス(ポストともいう)の錯誤と呼んでいます
プレとトランスの錯誤はあちこちにあって
わからない人を
プレなのにトランスだと錯覚させて商売している人とかたくさんいるわけです
自分自身でもプレなのにトランスだと錯覚して自己満足している人はたくさんいる私もそうかも知れなくてなかなか確認は難しい実際、つい私は先日まではプレの恋愛絶対主義者だったいまその女性を知ってからはトランスの恋愛絶対主義者になったような気がする
まず、強く思い、思われる、ただ存在してくれるだけでいい、
というのは全面的に賛成です
経済的にも特に何もしてもらわなくていいし、
生活実務のことなどはお金で解決できるし、自分でしてもいい都会はそんなサービスはたくさんあるただ享受者になればいい
デートコースをあれこれ考えている暇があったらさっさとディズニーシーのチケットとホテルの予約をした方がいいという話もある専門家がセットするデートコースなんだから手作りのものよりは上質だろうとしかしわたしはそうは思わないので困るお金で解決できるところは解決してしまっているのでその先の問題
全身フルで美容整形も脱毛もエステもしているわけでその先の話
ただそのままでいいのだけど、そのまま、あるがままというところに、
プレ/トランスの事情があるのだということを理解するかどうか
たぶん女性自体は何を考えているわけでもなくてそのまま自分のままなんだろうそれを見る私の側が変になっているのだ
まあ理解していなくても自然に出来る人がいるので
こんなふうに説明する必要はないのかもしれないが
こうして書いてみると不整合部分はあるにしても
人に説明するとすればこんなことという程度の話
有島武郎という人が波多野秋子と婚姻外恋愛をして縊死心中をする
この事情をまるごと引用すると以下のようだ
ーーー妻の安子と死別してから、武郎は女性と無縁でいたわけではなかった。彼は「或る女」執筆のため円覚寺の別院にこもっていた頃、休み茶屋の女と体の関係を持っていたし、円覚寺近傍の寿司屋の娘とも愛人関係にあり、この関係はその後もずっと続いたといわれる。他に彼は帝劇の女優唐沢秀子と恋愛中であり、石川県選出の代議士夫人桜井鈴子からも、しつっこく追い回されていた。
そんな彼の前に現れた波多野秋子は、「婦人公論」誌の記者だった。彼女は某実業家が新橋の芸者に生ませた私生児で、青山学院に学びながら波多野春房の英語塾にも通っていた。やがて彼女は波多野と愛し合って結婚し、高島米峰の紹介で中央公論社に勤務することになった。同じ頃、波多野も知人の斡旋で火災保険協会の書記長になっている。
不思議なことに、波多野秋子の写真は一枚しか残っていないようで、どの本を開いても同じ写真しか掲載されていない。その写真を見るかぎり、彼女はそれほど美しかったとは思えない。武郎の友人達は、彼にふさわしい女はほかにもっといたと証言する。が、室生犀星は秋子には、「眼のひかりが虹のように走る」感じがあって魅力的だったと言っている。生前の秋子に会っている里見弴や足助素一は、彼女にあまりいい印象を持っていない。彼女からコケティッシュな印象を受けていたからだ。
大正11年の冬頃から武郎に対する秋子の攻勢が始まった。が、武郎は彼女に何となく恐ろしい感じを抱き、深入りすることを避けている。翌年の春になると、秋子はますます執拗に武郎に迫るようになり、そうされると何時でも抵抗力を失ってしまう武郎は、遂に秋子と行くところまで行ってしまう。だが、直ぐに武郎は反省し、逢い引きの約束を取り消す手紙を書いている。
(逢い引きの約束を破る理由は)愛人としてあなたとおつき合ひする事を私は断念する決心をしたからです。あなたにお会ひするとその決心がぐらつくのを恐れますから、今日は行かなかったのです。私は手紙でなりお目にかかってなり、(秋子の夫の)波多野さんに今までの事をお話してお詫びがしたいのです。
・・・・あなたも波多野さんの前に凡ての事実を告白なさるべきだと思ひます。而してあなたと私とは別れませう。短い間ではあったけれども驚く程豊に与へて下さったあなたの真情は死ぬまで私の宝です。涙なしには私はそれを考へることが出来ません。 ・・・・あなたが自分ではとても死ねないと仰有る言葉なぞも私にはよく解ります。而してあなたのそのやさしい心をなつかしく思ひます。死んではいけません。この手紙から、二つの事実が明らかになる。一つは、秋子が自分の夫を高潔な人格者であり、妻である自分を純粋な気持ちで愛してくれていると誇らしげに武郎に説明していたことであり、もう一つは秋子が武郎を道連れにして一緒に死ぬ気になっていたことだ。武郎には、女と死ぬ気はなかったし、秋子の夫がそれほど立派な人物なら、彼を悲しませるようなことをすべきでないと考え、秋子に別れることを提案したのである。馬鹿正直な武郎は、二人揃って秋子の夫の前に出て謝罪すべきだと考えていた。
秋子も一旦は武郎と別れることを承知した。が、関係はすぐに再燃し、二ヶ月後の6月4日に二人は船橋の旅館で泊まってしまう。この時にも秋子は死ぬことを迫り、武郎は逃げ切れなくなって、10月になったら実行すると約束している。
秋子は何はともあれ心中することを武郎に承知させ、満足して翌日帰宅した。秋子が武郎に打ち明けたところによると、彼女の帰宅を待ち構えていた夫は夜通し彼女を責め立て、しまいには催眠術まで使ってすべてを白状させたという。だが、「催眠術まで使って」というところに釈然としないものが残る。彼女は武郎の気持ちを揺るがぬものにするためには、むしろ二人の関係を夫にばらした方がいいと考えた節がある。
翌6日、武郎は秋子と共に波多野の事務所に呼び出された。実際に会ってみると、波多野春房というのは、とんでもない男だった。この日、波多野と武郎が取り交わしたやりとりは、足助素一の「淋しい事実」のなかに克明に描かれている。武郎は死ぬ前に、秋子との関係、秋子の夫との関係を総て足助に打ち明けていたのである。足助の「淋しい事実」の内容は、里見弴の「安城家の兄弟」にほぼそのまま引用されている。以下は、「安城家の兄弟」からの抄録である。
(波多野春房は事務所に現れた武郎に)「お前は有名な吝嗇ン坊(しわんぼう)ださうだから芸者なんぞに係わり合ふことはし得ないで、金の要らない人妻ばかり狙うんだらう。敏子(秋子)は、自活の出来る職業婦人だから、その点、益々好都合だと思って誘惑したんだらう」 と、頭から罵言を加へて置いて、「それほどお前の気に入った敏子なら、慰斗をつけて進上しないものでもないが、併し俺は商人だ。商売人といふ者は、品物を無償で提供しやアしない、敏子は、既に十一年も妻として扶養して来たのだし.それ以前の三四年も俺の手元に引き取って教育してゐたのだから.それ相当の代金を要求するつもりだ。俺ぁこんな恥曝しをしては、もう会社にも勤めてゐられない。これ、この通り辞表も書いで来てゐるんだ」
と、言って、和洋二通の辞表を出して見せた。そこには、「家庭内に言うに忍びざる事件起り」といふやうな文言もあった。 なほ続けて言ふには.
「敏子は、今すぐにでも離籍してやるが、併し、それでい~気ンなって、おいそれとお前たちが夫婦になるやうなまねは断然許さん。少くも一年か一年半たってからでなくっちア、第一世間がうるさくって困る。それから、金は、一度だけ支払えばそれですんだと思うな。俺は、吝嗇ン坊のお前を、一生金で苦しめてやるつもりなんだから。それは今から覚悟しておけ!」
この調子だった。文吉(武郎)は、かねて敏子から、どれほど良人に愛されてゐるか!といふやうな話ばかり聞かされてゐたので、この会見にも、「お前たちはとんでもないことをしでかしてくれたもんだ。敏子は、俺には一日もなくてならないもんだったのに!」といった調子を予期し、それには一言の返す言葉もないと、恐縮しきってゐたのだが、案に相違した罵詈讒謗に、却ってすっかり気持を楽にして了った。で、まづ自分には、命がけで愛してゐる女を、金に換算し、取引するやうな、そんな侮辱は自他のために所詮忍び得るところでない、と拒絶すると、
「よし! ぢア、ニれからすぐ警視庁へ同行しろ!」 と、息巻いたが、文吉は、もとより望むところと、即座に、
「よろしい、行かう!」
と座を立った。──これは、明かに萩原(波多野)の予算違いで、もしさう言ったなら、ひとたまりもなく文吉が震え上がり、床に額を摺りつけて、哀訴嘆願するものとばかり思いこんでゐたらしい。で、ややたじろぎながらも、
「お前は、警視庁へ行ったら、敏子を裏切って、美人局だなんて言び張るつむりなんだらう!」
と、一喝しておいて、更に、「お前は、今のうちこそ、そん空威張りをしてゐるが、実際監獄にはいってみろ!お前には三人の子供や、また老(としと)った親もあるって話だが、さういふ人たちのことは、何とも思わないのか!あとなんぞ、どうなって構わないっていふのか!……俺にしたって、十一年も一緒に暮して来た、無邪気な、まるで鳩みたいな敏子を監獄へなんぞやりたかアない。いくらお前が吝嗇ン坊だって、まだしもそれア、金で始末をつけた方が楽だらうぜ!」
そこで文吉は、「・・・・・いづれにせよ、僕は愛する女を金に換算する要求には、断じて應じられないんだから、一時も早く警視庁に突き出して貰はう!」 、これには、萩原も手こずった様子で、おどしたりすかしたりして、文吉の決心を翻さすことに努め、最後に、
「どうしてもお前が支払いを拒むんなら、一人一人お前の兄弟たちを呼びつけて、お前の業晒しをしても、きっと金は取ってみせるからさう思え!」
と罵り・・・・・食堂へおりて行ってしまった。(「安城家の兄弟」里見弴)波多野と別れた武郎は、その足で当時入院中だった足助を訪ね、波多野との会見の一部始終を打ち明けている。武郎が帰ってから足助は、あれこれ考えた末に、さしあたり波多野に金を払って相手の気持ちを落ち着かせた方がいいのではないかと思い、夜になってから武郎の竹馬の友で、彼とも親しかった原久米太郎に直ぐ上京してくるように電報を打った。
足助は波多野が弱腰になったと聞いて、原を間に立てて波多野と掛け合えば、先方の要求する金額を値切ることもできるし、今後、金の要求はしないという念書を書かせることも可能だと思ったのだ。世慣れた原に一任すれば、事を穏便に納めることができると判断したのである。
翌日、足助は病院を抜け出して武郎の住まいに出かけた。武郎のところには、波多野秋子も来ていた。足助が原久米太郎に交渉を任せるように献策すると、武郎は首を振って、相変わらず、愛する女を金に換算することは出来ないと言い張るのだ。
そればかりか、武郎はまるで夢見るような口調で、こんなことを言い出した。
「…情死者の心理に、かういふ世界があることを解って呉れ。外界の圧迫に余儀なくされて、死を急ぐのは普通の場合だが、はじめから、ちやんと計画され、愛が飽満された時に死ぬといふ境地を。……死を享楽するといふ境地を。僕等二人は今、次第に、この心境に進みつつあるのだ。」
「‥………」
「君が僕を惜しんで呉れるのは能く分ってゐるが。・・・・・ああ、何といふほほゑましさだ。ねえ、秋子さん、こんな寂光土がこの地上にあるとは今まで思ひもそめなかったね」(「淋しい事実」足助素一)波多野は、前日、武郎が帰って秋子と二人だけになったなったときに、「作家というのは姦通罪で入獄でもすれば却って人気が出るそうだから、もう、お前たちを訴えることを止めることにした。有島が金さえ出せば今度の件は、内聞にしておいてやる」と告げた。
足助の計画通りに事を運ぶには、弱気になっている波多野に強硬姿勢の武郎をぶっつけて活路を見いだす必要があった。足助が武郎と別れた時には、この線で突っ張ってくれそうな気配があったのである。武郎は姦通罪で入獄することを、むしろ望んでいるように見えたのだ。
武郎は私財を投げ出すことで経済的自殺を試み、「宣言一つ」を発表することで思想的自殺を試みるという風に、自分を徐々に破滅に向かって追いつめていた。その彼が姦通罪で二年間入獄すれば、今度は社会的な自殺を強いられることになる。彼は本当に自殺することを回避するために、擬似的な死を次々に重ねることを選んでいたのである。そして、今度もし監獄に入ることになれば、情死を迫る秋子の矛先をかわすことも出来るのだ。
武郎は森本厚吉と心中を企てるほど、深い親交を結んでいたけれども、当初は森本を好んでいなかった。秋子についても同じで、武郎は昨夜、病院で足助に、「秋子と長く同棲していたら、きっと倦怠を感じるようになると思う。彼女がそういう女だということは、今からもう分かっている」と語っていた。
だが、武郎はこの日、波多野の伝言を携えて訪ねてきた秋子と膝をつき合わせて話しているうちに、彼女に押し切られて死ぬことを約束してしまったのである。そもそも、姦通したといって自首して出ることなど、ありえない話なのである。被害者である夫が訴えて出て、はじめて姦通罪は成立する。武郎が、本気で自首を実行しようとしたら物笑いの種になるだけなのだ。
秋子に押し切られ、死を決意すると、武郎の胸に予想もしなかったようなよろこびがわいてきた。これで本来収まるべきところに収まったという気がしてきて、死を享楽するというような気持ちになったのだ。足助はこういう武郎を見て絶望した。そこで彼を説得することをあきらめ、秋子の説得に取りかかった。
「秋子さん、有島には三人の子供もいるし、老母もいるんです。武郎を殺さないで下さい」
すると、秋子は初めて気がついたというように武郎の方を向いて、「そうね、あなたには係累があるんでしたっけねえ」と空とぼけて話しかけ、「二人で解っていればいいのね」と足助には理解不能な言葉で武郎に念押しをする。秋子は、足助に取り合う気配を微塵も見せなかった。
足助は、かっとなって、「この女の冷たい目を見ろ。残忍そのものじゃないか。君はこんな女と情死するのか」と武郎をなじったが、武郎は口ごもって、「──どうもそれは、仕方のないことだ」とつぶやくばかりだった。足助は何の成果も得られず、引き上げるしかなかった。
武郎は、その翌日から行方不明になる。新橋駅のレストランでしたためた「二、三日旅に出る」という葉書が自宅に届いたきりで、消息が全く知れなくなるのだ。そして約一ヶ月後に軽井沢の別荘で縊死している遺体が発見される。その場に武郎自筆の遺書がなければ、誰のものか分からないほど二人の遺体は腐乱していた。
死を目前にして、したためた武郎の遺書には、次の文字が見える。
(足助素一宛)「山荘の夜は一時を過ぎた。雨がひどく降っている。私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら最後のいとなみをしている」
(森本厚吉宛)「私達ハ愛の絶頂に於ける死を迎える。六月九日午前2時」5波多野秋子は、なぜあれほど有島武郎との心中に執心したのだろうか。太宰治と死んだ女性も、また、不思議なほど心中することに執着していた。
彼女等は天下に名だたる一流作家を独占して、自分一人のもにしたことを世に誇示したかったのではなかろうか。秋子にとって情死は、女としての勝利宣言を意味するものだったから、武郎に3人の子と老母がいることはむしろ彼女の勝利を輝かす勲章になるのである。この世に未練を残し、後ろ髪を引かれる思いでいる武郎を、彼女が強引にあの世にさらっていったとすれば、彼女の女としての魅力を一層強く証明することになるからだ。
それにしても、有島武郎は何故秋子と心中したのか。ここに至るまでに、彼は再三死を迫る秋子の訴えを退けてきたではないか。「小さき者へ」を読んで感動していた読者は、武郎が三人の愛児を残して死んだことに驚かないではいられない。武郎は、この作品で幼くして母を失った子供達のために石にかじりついても生き延びると誓っていたと思われるからだ。
もともと秋子を高く買っていなかった武郎は、波多野の要求する金を払い、それを機に女と別れることも出来たはずなのだ。そうすればすべてが円満に収まったのである。にもかかわらず、武郎はこの情事が表沙汰になったことを利用するかのように、死に向かって飛び込んで行った。
有島武郎の不可解な行動を理解するには、ナルシシズムとの関連を検討する必要があるかも知れない。この観点に立って、有島武郎の生と死を眺めたら、どうなるだろうか。
彼の私小説風の作品──「小さき者へ」「平凡人の手紙」「An Incident」「死と其前後」を読んでいると、奇妙な尻こそばゆさを感じる。読んでいて、こちらが何となく恥ずかしくなってくるのである。
これらの作品からは、死んだ妻や三人の子供達に対する武郎の愛情がストレートに伝わってくる。だが、最初から最後まで純度100パーセントの愛情で満たされた作品を読まされると、読者は何かしら困惑を感じる。「An Incident」には、父親の嗜虐性のようなものや、夫婦間の感情的な齟齬などが描かれているが、読み終わって感じるのは、やはり純度の高い家族愛なのだ。
これらの作品を書くときに、武郎は家族に対する自らの愛情を疑っていない。彼は別に自分の愛情を誇ろうとしているのではない。けれども、彼は、おのれの感情の純粋無雑なことをいささかも疑っていないのである。これが読者をして面はゆい思いをさせるのだ。
これは足助素一の「悲しい事実」を読んだときに感じる面はゆさに似ている。武郎は自宅に駆けつけてきた足助に、
「君、どうか秋子を許してやってくれ。君から僕を奪った秋子を・・・・」
といって、自分の「裏切り」を詫びるのだが、足助の前でぬけぬけとこんなことを口にする武郎の神経は、やはり尋常とはいえない。
武郎が家族に対する自らの感情を疑わないこと、そして周辺の者の自分に対する愛を疑わないことは、表裏の関係で一体になっている。上流の家庭に生まれ、大事に育てられてきた人間は、自身の善意と自分に対する周辺の人間の愛情を信じて疑わない。その結果、彼等は成長してから「鼻下長族」と揶揄されるようになる。有島武郎が「鼻下長族」の一人だったことに疑いを入れないのである。
武郎は、幼時に父母から厳しくしつけられ、横浜の米人家庭でもキリスト教道徳を仕込まれた。外見上彼は周囲の大人達から過酷な扱いを受けていたように見えるけれども、彼を取り囲む大人達に悪意はなく、皆、武郎を一人前の人間にしようと願っていたのである。だから、スパルタ式の訓育を受けながら、武郎は彼等を恨むことがなかった。
自分の善意と周囲からの愛を信じていた彼を、直ちにナルシストと呼ぶことは出来ないだろう。「わが肉体は美の殿堂」と豪語した三島由紀夫は、金箔付きのナルシストだった。けれども、武郎のように自分の善意を信じていたというだけでは、自己愛主義者とは言えない。自分以外の他者を蔑視して、自分だけに排他的な愛を向けるときにナルシストになる。有島武郎は、他者を排除し自分だけを取り出して、これに一途に執着するような人間ではなかった。
彼は自分を肯定すると同じ気持ちで、他者を肯定しようとし、自分を愛するように他者を愛そうとした。そうした努力の末に、自他の融合を感じることが出来たから、「愛は惜しみなく奪う」というテーゼも生まれてきたのだ。武郎は森本厚吉と抱き合って誓いを交わし、「悲しい事実」の足助素一とも、秋子の見ている前で抱き合って、号泣している。こういうときに、彼は相手の人間性が自己の内面に流れ込んだように感じ、相手の内面を奪い取ったと感じたのである。
しかし彼は、かなり早い時期から周辺の人々の他者性にも気づいていた。父母や弟妹の中にも、恋人の中にも、友人の中にも、自分とは融合できない別人格のあることを感じ取っていたのだ。彼の精神は、自他の善意と愛を信じているときには安定し、人々の他者性を意識したときに不安定になった。もっとハッキリ言えば、彼はナルシシズムに包まれていたときに、安定し、それが醒めたときに不安定になったのである。
彼が自分を否定しているときに安定していたという奇妙な現象も、これで分かるだろう。彼は自分の善意に絶対的な信頼感を抱いているときにのみ、果敢に自己の欠点に切り込み、自らを厳しく断罪できたのである。自信のある人間は、平気で自分の欠点を認めるものだ。うちに揺るがぬ自信を持っていたから、彼は自己をあんなにも厳しく否定できたのである。
しかし周囲の人間が信じられなくなり、ナルシシズムが薄れてくると彼は動揺しはじめる。河野信子や妻への愛情は反転し、面会日にやってくる思想上の同志達とは縁を切りたくなる。
死ぬ前の有島武郎は、「惜しみなく愛は奪うといってみたところで、実際には少しも奪いはしない」と語り、実質的にこれまでの楽観的な人生観を放棄している。自己を囲繞する人間たちの絶対他者性に突き当たり、自他融合の自信が揺らぎ出すと、彼は深刻なスランプに陥り、作品が書けなくなった。彼の創作意欲は、自分を全肯定しているときにのみ、活発に活動するのである。
だが、波多野秋子に強いられて情死を決意した瞬間に、自他融合の感覚がよみがえり、つまりナルシシズムの感覚がよみがえり、彼は寂光土にあるような安心を感じたのだった。彼の胸からは「小さき者へ」に記したような子供達への哀憐の情はすっぽり抜け失せ、「死を享楽する」気持ちが優位を占めた。
こうして夏目漱石の再来と言われた作家は、女の伊達巻きを首に巻いてナルシストとして死についた。