以前の私は瞑想法というと、霊的・宗教的意味のあるニューエイジ系の治療というイメージを持っていましたが、実はマインドフルネス瞑想法(mindfulness meditation)はすべての人に対して、霊的信念や価値観などの変更や放棄を求めることをしない認知療法の一つです。最近、「認知行動療法の第三の波」として注目を浴びるようになってきました。
マインドフルネス瞑想法のルーツは2600年前の仏陀の観(ヴィパッサナー)瞑想に遡ると言われています。マインドフルネスは「今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに自覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様」と言われています。つまり「今ここで知覚される対象に注意を向け、その対象を思考の働きで変化させないように気をつけ、観察に徹する行動」です。
具体的な方法については熊野宏昭先生の説明が簡便で患者さんにもすぐ実践できるものとなっていると思います。
座禅をするときのように身体の力を抜き、背筋をのばして座り(正座でも、椅子でも構いません)、そして、呼吸に伴う身体の動きに気づきを向けます。
その際、呼吸は「ゆったりと」するくらいにして、なるべくコントロールしないようにします。つまり、<呼吸のことは呼吸に任せていく>のです。そして、例えば、お腹や旨の辺りの動きに気持ちを向けて、「ふくらみ、ふくらみ」「ちぢみ、ちぢみ」と、身体が動く感覚をそのまま感じるようにします。
そうこうしていると、すぐに何かを考えているのに気づくでしょう。そうしたら、「雑念、雑念」と心の中で2~3回唱え(ラべリング)、さらに「戻ります」と唱えて呼吸に伴う身体感覚に優しく注意を戻すようにします。あるいはどこかに痛みを感じたら、「痛み、痛み・・・・・・・、戻ります」、かゆみを感じたら、「かゆみ、かゆみ・・・・・・・・、戻ります」という具合です。
しばらく続けていくと、また何かを考えています。今度はしばらく気付かずに、「あいつにだけは負けたくない」とか、「これだけは自分のものにしないと」などと考えてしまっているかもしれません。そういった場合は、思考のレベルを超えて感情が動き始めていますので、「怒り、怒り、怒り」「欲、欲、欲」などと「ラべリング」していくようにします。
以上のように、雑念、五感、感情などに巻き込まれていることに気づいたら、ラべリングをしてそっと呼吸の感覚に戻るということを、繰り返し繰り返し行っていくわけです。
マインドフルネス認知療法(mindfulness-based cognitive therapy: MBCT)では、瞑想の練習時間は初回は10分程度、最終的には45分程度を目標としています。しかし、あまり形式ばらなくても日常生活の中でマインドフルネスをとりいれることは可能です。ちょっとした休憩時間、散歩しているとき、ソファーに横になっているとき、読書、ストレッチのときなどにもできると思います。私は、患者さんに日常生活の中で、突然、不安や強迫観念が出てきたとき、否定的思考にとらわれそうになったとき、マインドフルネスを実践してもらっています。
私自身の実践経験ですが、仕事にせきたてられ常に身体の緊張、不安に付きまとわれた時期がありました。朝日を浴びながら散歩しているのに、不安が取れず、仕事が間に合わなかったらどうしようなどと焦りや恐怖感にとらわれ、身体が硬く、特に首筋(斜角筋、胸鎖乳突筋など)や僧帽筋などの緊張が強く、身体的な不快感を味わいながら、歩いていました。この時に否定的な思考が出てきたことを自覚し、「あせり、あせり・・・・」「不安、不安、・・・・・・」とラべリングして、さりげなく呼吸に注意を戻すということを繰り返しました。はじめは苦しみは和らぎませんでしたが、しばらくやっているうちに、不安がピークにさしかかったと思われた瞬間、不安や焦りの感情をやり過ごすことができ、あっという間に首筋、肩の筋肉のスパズムが消えてしまいました。
MBCTはうつ病再燃のリスクを低減する可能性があります。うつ病から回復した人でも、特定の否定的思考パターンに依然として脆弱である場合、マインドフルネスが効果的であると言われています。MBSR(mindfulness-based stress-reduction)に関しては痛み、ガン、心疾患、うつ病、不安障害、ストレスに悩む健常者などを対象にした20の研究のメタ解析で心身両面に十分な効果が認められるという報告もあるそうです。
長年、観瞑想を続けてきた人は、背内側前頭前野と島の皮質の体積増加しているという報告もあります。この部位は、パニック障害のエクスポージャー治療の長期効果と共通する場所だという。背内側前頭前野は感情に対する注意、思考に対する注意という機能を持っている。自分の心の中の感情や思考の動きを客観的に観察する能力、さらに自分の心に対する認識ばかりでなく他者の心に対する認識も、この部位でなされているという。
よって、マインドフルネスにより、自分の思考や感情に巻き込まれずに、それを外から客観的に観察していこうという方法は、パニック障害のエクスポージャー療法と深い関連性があるという。
すべての私的現象(思考、感情、身体感覚、記憶など)は変わり続けていく一過性の出来事にすぎず(無常)、どこにも不変の自分などは存在しない(無我)、そのように一過性のものに執着すると失望を繰り返し味わうことになる(苦)、という事実をありのままに観察することで、批判や比較などの思考によって作り出される不満と渇望の悪循環から抜け出すことを目指すマインドフルネスは、「自分」と呼べるものはどこにも存在しないという認識を持つことになる。「自己」という構成概念に直面化するゆえに、マインドフルネスは認知行動療法の第三の波として位置づけられている。