デルフォイの神託で「汝自身を知れ」ということは良く知られているが、この続きが結構長い。
「おまえの内をを見よ。おまえを知れ。おまえ自身を考えよ。外で費やされるおまえの精神と意志をおまえ自身にひきもどせ。おまえはおまえ自身から流れ去り、おまえ自身を放散させている。自己に集中し、自己を支えよ。おまえは裏切られ、撒き散らされ、盗まれている。おまえにはわからないのか。この世界の万物はすべて自分の目を自分に集中し、自分を見つめるために目をひらいていることを。おまえにとっては内も外も常に空だ。だが同じ空でも拡がりが少なければそれだけ空ではない。おお、人間よ、おまえ以外の万物は皆、第一に自己を研究する。そして自分の要求に応じて、仕事と欲望に限界を定める。世界をいただいているおまえほど空しく貧しい存在はひとつもない。おまえは知識をもたない詮索家であり、権限をもたない裁判官であり、とどのつまりは、道化芝居の道化役にすぎないのだ」
「汝自身を知れ」というのは結構つらいものがある。そこには「悲惨と空虚だけ」しかなく、だから、「自然は、われわれを失望させないために、うまい具合にわれわれの見る働きを外にむけてくれた」とモンテーニュは書いている。