老年を自覚するのは

老年を自覚するのはデパートに行って他の老年者を観察してまるっきり自分と同じと思う時だ

昨日の夜、ベッドの中で読んでいた行動療法の本が朝になって見つからない
いつも何かを探しているのは認知症の疑いがあると言われているが自分がそうだと思う
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デパートの食堂でお年寄りが二人、何も話さず、目を見ることもなく、ただ黙々と食事をしていた
寡黙というべきか、無関心というべきか、老化というべきか、
長期経過を見なければ
どれに当たるのかよく分からないが
いずれにしても
粛然とした
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散歩の途中に紅梅を見つけて喜んでいたが
雪は降る、地震は起こる、人事でも色々とあり、多難である
老いの身に過剰な情報入力は危険である
適切に情報出力したいが技術がない
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職員さんを見ていると40歳を境にしてpcの扱いに格段の差がある
40歳以上には昔のワープロ専用機のほうがいいような気がする
私が呼ばれていくときは大抵がpcの困りごと、しかも40歳以上である
マシンの自由度が高いほど困惑するらしい
自然な連想ができないでいる
自然な連想が機械の内部と一致しているのが若さなのか
老齢者の自由な連想は何に一致しているのか分からない
そういう自分が一番億劫と感じている
昔の人は年寄りを知恵者として遇した
いまはそうでもないと思う
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老齢にいたりただ食欲で生きている
大事なことをいつもいつも先送りにしている
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これまではひたすら未来の準備のために生きてきたと思う
しかしもうそんなことは考えない、ただ現在を生きている
明日の昼飯をどうするか、そこに意識は集中している
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ロースカツの塩味が足りないと思うのも老年だからだろうか