マニヤンを検索したらこんなのが見つかった。
2003年らしい。
記録のために採録。コメントなし。
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『人格障害のカルテ 理論編』
高岡 健・岡村 達也 編 20040525 批評社, メンタルヘルス・ライブラリー 11, 203p.
本書は『精神医療』29号の特集「人格障害のカルテ〈理論編〉」(精神医療編集委員会編、2003年1月10日発行、批評社)に加筆・修正し、新たな論文を加えて編集したものです。
■目次
●はしがき 人格障害論の脱構築 ― 高岡 健
●座談会 なぜ人格障害はすわりが悪いのか? ― 宮台真司・羽間京子・高岡 健・岡村達也
●人格認識自体がもたらす「障害」について ― 鈴木 茂
●回避性人格障害 ― 中村 敬
●人格障害論の現状と問題 ― 大河内敦子・粕田孝行
●人格障害論の史的展開 ― 森山公夫
●精神病質論の行方 ― 西山 詮
●人格障害と英国の新しい立法 ― 大下 顕
●パーソン中心療法から見た境界性人格障害 ― 岡村達也
●『人格障害論の虚像』を読みながら思ったこと ― 塚本千秋
●BOOKガイド 人格障害基本文献30 ― 高岡 健・岡村 達也
●あとがき 一心理屋の人格障害史 ― 岡村 達也
■紹介・引用
●はしがき 人格障害論の脱構築
・人格障害をめぐって解決されていない問題点
①人格障害は、幼少期から老年期まで変化しない人格特徴か、状況の変化に応じて変動しうる状態像なのか?
境界性人格障害(BPD)は状態像であり、いかなる人格障害もコミュニケーションの崩壊状況の下では「境界例化」し、コミュニケーションが再建されたら、それぞれの人格障害へと「脱境界例化」される。(p4)
②人格障害と発達障害との関連
コミュニケーションの安定性が崩壊へと向かうと、狭義の統合失調型人格障害(SPD)の病像が出現する。(p6)
③人格障害は治療の対象なのか否か?
コミュニケーションの崩壊以前の人格にはメンタルヘルス、崩壊以降の状態像に対してのみ治療を対置することが適切。(p8)
・人格障害という用語は、そのように名づけられた人たちの排除を通じて、社会の安定をはかるために使用される傾向がある。(p9)
●座談会 なぜ人格障害はすわりが悪いのか?
・座談会の動機(p15~17)
社会の中で「すわり」が悪くなってきている人格障害をどのように考えるか?
→「歴史の転換点」と「コミュニケーション」という視点から捉える
・人格障害と〈歴史の転換点〉―社会学の視角から(p18~30)
〈団地化〉;コミュニケーションが閉じない。団地がもともとどんな場所だったのかという不安。
〈ニュータウン化〉;高度経済成長以降出現。〈家族幻想〉が短い期間で終わり家族がアノミーに陥る。
→共同体アノミーを埋め合わせるようにして生じたのが、家も学校も地域も学校的尺度で一元化される〈学校化〉という現象である。
→〈学校化〉の中で居場所を喪失した子どもたちが居場所を獲得する〈第四空間〉が出現する。 〈集団性〉を基盤としていた時代に存在した"規制" のメカニズムが消えるが、一方で個人による事件のように見えても、集団を意識し、集団に対する"同調圧力"を気にしている
・人格障害と〈歴史の転換点〉―精神医学の視角から(p31~40)
社会の中に根拠を持って生きてきた人たちに対して、人格障害というラベルを貼ることで精神医学者の側はそれを一つの"商売の種"にしてきた。貼られた側は、社会から排除されるか、治療を受け入れ社会復帰するかしかなかった。
社会システムに適応することが幸せなのか、と問われると良く分からない。人格障害は「このシステムに上手く適応して問題を起こさないことに、問題はないのか」という逆説に光を当てるきっかけになる。
・コミュニケーションとしての人格障害(p40~56)
人格・人格障害の中から、目に見える形をコミュニケーションとして捉える。個々の目に見える行動はコミュニケーションとして捉えることができる。人格障害の不安定さもコミュニケーションである。
コミュニケーションとは、社会システムが与える選択肢をどのように受け止め、反応するか、ということであり、われわれから特定の反応が導かれるのは、社会がそれを引き出し、巧妙に利用するからである。
●人格認識自体がもたらす「障害」について
・はじめに(p57~59)~「personalityの次元に問題がある」という印象を抱かせる患者の激増。
・患者自身と精神科医の双方からする患者人格の認識(p60~62)
患者自身から得られた性格規定と、精神科医が診察室で直接目にする患者の印象が一致するか否かを図式化する。それにより、性格の類型化が可能になる。
・形式としての人格障害―人格概念を意義あらしめるもの(p71~75)
人格概念を実効性あるものにするためには、人格を「有機体の行動」「人間の自由」との関連において形式的に捉える視点が重要であり、前者はJanet、後者はKantを例に見ることができる。
性格に関するわれわれの自己規定は、判断力による。Kantによると、判断力には、普遍的なものの下に特殊的なものを包摂する規定的判断力と、包摂されるべき普遍が未だ与えられていない場合に、特殊的なものを通じてそれらに対する合目的的な普遍を新たに発見していく、自立性を持った反省的判断力がある。患者と精神科医は、反省的判断力の行使により新たに普遍を合目的的に発見してゆかなければならない。
●回避性人格障害
・はじめに(p77)
昨今増加の一途を辿る社会的ひきこもりと回避性人格障害のつながりが想定されている。
・回避性人格障害―概念の歴史(p77~82)
DSM-Ⅳでは、批判、否認または拒絶に対する恐怖の項目が最初に位置づけられ、低い自己評価に関する項目が復活。回避性人格障害の中核的特徴は、強い対人希求性を持ちながら拒絶への過敏さのために自ら他者との関わりを避けるパラドクスにある。また、対人関係に対する回避傾向は生得的遺伝的に規定されているという理解が最近の趨勢となっている。
回避性人格障害の二つの問題点
①このタイプの人格障害を社会恐怖ないし対人恐怖症から連続的に移行する自我親和的な病態に位置づけるだけで十分なのか。
②回避・社会的ひきこもりという持続的行動パターンが、本当に遺伝的に規定されたパーソナリティーに内属する特性といえるのか。
・症例提示と考察(p82~89)
提示された4症例は、回避性人格障害を対人恐怖―拒絶への過敏症という軸のみに還
元できないことを示唆する。些細な不安刺激から反射的に回避反応が割り込み、活動モードからひきこもり・行動抑止モードに非連続的にスイッチが切り替わる。
・回避行動と現代社会(p90~91)
回避は危機的状況下では誰しもとりうる行動であるが、共同体に基づく社会システムが拡散した今日、唯一の共同関係の場である学校や職場での失敗、そこからの離脱は直ちに共同社会からの脱落を意味することになり、いったん離脱すると家族以外の誰もが敵対可能性を帯びることになり、他者への恐れが汎化してゆく。
現代の生活環境の変化の中で、自己と環境との関係を調整する必要が減り、対処能力を超えた事態に対しては能動的に行動する代わりに「行動しない」という戦略をとらざるを得なくなる。
●人格障害論の現状と問題
・人格障害と診断される方達と看護師としての出会い(p96~97)
精神科女子急性期閉鎖病棟での勤務経験をもつ看護師である筆者が、人格障害疾患の患者との関わりの中で体験した"とも揺れ"について述べ、"病と闘う人々に寄り添う"という看護師本来の役割について考える。
・出会い(p98~99)
"プライマリーナース"として、Aさん(18歳女性・境界性人格障害)を担当することに。
一定の距離を持ちながらも共感的態度で接し安定した対人関係の練習をしてもらうことを心がける。
・ナースとは友だちになりたい!―治療に最適な距離が持てない(p100~101)
Aさんの態度が次第に変化し、治療するのに最適な距離がとれなくなる。好意的な態度とこき下ろしとのギャップに戸惑い、Aさんの反応が怖くなる。
・振り回される―感情の揺さぶり(p101~102)
その日の担当看護師と自分行動の"振り返り"の時間を持つ。この最中に感情が揺さぶられる。
・治療チームの分裂―主治医への怒り(p102~103)
Aさんの2回目の入院からバラエティーに富んだ行動化が多くなり、目を離せなくなる。主治医への怒りを感じ、チーム間の分裂を生じてしまう。
・患者さんとの"とも揺れ"(p104)
Aさんの行動化がエスカレートすることで看護計画が行き詰まる。Aさんの行動化を止められずに落ち込み、"とも揺れ"を起こす。
・この事例より学習した私の見方(p105~106)
「一生懸命、患者さんのため」にと考えるとなぜかのめり込み、看護師側の方が患者さんとの適切な距離をはかる事ができなくなる。否定や肯定をせずにAさんが感じたことをそのまま受け止めるようにしていく。
・看護師としての内省―これからの人格障害疾患患者の看護について(p106~107)
看護師は患者さんの身近な人としてとも揺れをしながらも、一線を越えない客観性を持って、どんなことがあってもみていてくれるいわば離れない観客のような存在として機能するもの。
●人格障害論の史的展開
・精神病質人格概念の形成―変質から精神病質人格へ(p108~117)
①前駆期(1830~1850)
道徳的狂気という概念がプリチャードにより成立する。市民社会が解体の兆しを示し始める時代。精神病者の処遇の基本的パターン・鑑定の方法が確立されていくが、その中で引っ掛かってきたのが、道徳的狂気といわれる存在であった。
②変質論の成立(1850~1870)
1857年にモレルが変質概念を確立する。当時は市民社会がさらに崩壊して大衆社会に滑り込み始め、その中で文明の頽廃という現象が生じ始める。変質概念には文明の進歩に対する批判がこめられる。
③変質論の「変質」(1870~1886)
変質概念自体が変質する。マニヤンにより、「精神的平衡失調」を軸に変質概念が精神医学の中に大きく食い込む。この時代は、階級大衆社会に転換する時代で、精神医学の疾病論にも根本的組み換えが起こる。
④精神病質概念の登場(1886~1905)
コッホ「精神病質的低格性」・クレペリン「精神病質人格」といった、変質概念に変わる精神病質概念が登場してくる。その背景に獲得形質は遺伝しないという遺伝学説の変化があると思われる。
・精神病質論の展開(p117~119)
①多様の試み(1905~1933)
精神病質の分類の多様の試みが見られる。
②体系化と分岐(1917~1933)
精神病質人格論の全盛期。クルトシュナイダー(1923年『精神病質人格』)による整理とその後の体系化。クレッチマー(1918年『性格と体格』)による性格学。ライヒ(1925年『衝動的性格』)による精神分析学的性格学。
・精神病質論の変容(p120~122)
①精神病質概念の"道徳化"とパーソナリティー理論の登場(1933~1945)
精神病質概念の道徳化と呼ばれる時代。と同時にパーソナリティー理論が登場する。精神病質概念が病名というよりも悪口となった。
②精神病質論の「転回」(1945~1968)
精神医学概念が価値評価とか道徳化というものに転落してしまっているとする、シュナイダーの自己批判。「"精神病質"は死んだ。だが―精神病質者は生きている。」
・"精神病質"から"人格障害"へ(p123~126)
精神病質に代わる人格障害。背景には、①素質論から対象関係論へ、②鑑定概念から治療概念へという流れがある。人格障害はいまだ過渡的概念である。すべての人間が"狂"をある程度抱え込んでいる、というのがこれからの時代の人間像であり、そういう基本的考え方で"狂"の諸形態を分類することは可能であり、重要である。
・境界型人格障害(p126~131)
①ボーダーライン概念をどう批判するかという問題~何が医学の対象となるのかが不明確である。
②現象としてある問題にどう対処するか
一つに治療者のチームワークが試されるということ。2番目に治療者が患者の陰性感情転移に耐えることが試されているということ。3番目に治療構造の枠組を巡るせめぎ合いが常時必要になるということ。
●精神病質論の行方
・精神病質(異常人格)概念は生きている(p134~138)
シュナイダーによると、精神病質人格とは、素質に基づく異常人格であり、その異常性のゆえに利益社会を悩ますか、あるいはその異常性のゆえに自ら悩む者である。シュナイダーは精神病質人を非社会的な人と考えることを反対しているにもかかわらず、精神病質人格は社会意的にマイナスの評価が付されることが多くなった。こうした精神病質は今日、人格障害のみならず、異常体験反応の中にも生きている。
・今日の人格障害(p139~142)
変化はネーミング上のことで、自体は不変のまま継続している。
・人格障害者の刑事責任能力、治療、危険性予測(p142~148)
「医療観察法」を積極的に用いることで、犯罪行為を行った人格障害者のかなりの部分を責任無能力または限定責任能力にすることが、必要に応じて可能になる。
人格障害者の治療も必要かつ有効である場合もあるが、「従来の精神医学体系そのもの」を変更して、医師や病院がこのような事業に討って出るのが適切化は問題である。
将来的危険性の予測は、①危険な行動をする精神障害者の頻度がきわめて低く、危険性のない者を危険とみなす誤り(偽陽性予測)が許しがたいほど多くなること、②偽陽性の場合を観察することができないこと、③精神科医や裁判官の偽陽性予測の誤りについては問題にされること、といった点から困難である。その結果、多くの人をできるだけ長く収容させようという傾向が自然に醸成される。
●人格障害と英国の新しい立法
・はじめに(p151~152)
2002年6月、英国は精神保健法改正草稿法案を発表。これにより治療不可能とされる人格障害をも強制入院させることができるようにし、また地域での強制治療を導入することで、社会防衛を強化しようとしている。
・精神保健法改正の動き(p153~155)
草稿法案の作成の目的は、「重度人格障害をもつ危険な人々(DSPD)」を犯罪行為の有無に関わらず強制入院させ、犯罪を予防すること。
・法改正の動きへの反応(p155~156)~多くの精神科医、諸団体は反対を表明。
・人格障害―精神病質に関する議論(p156~158)
人格障害―精神病質が医療的概念か否か、治療可能か否かといった議論が再び活発化している。
人格障害が医学的概念であるか否かに関して意見が大きくわかれるという事実や診断の信頼性が低いと考えられている事実は、その診断にもとづいて精神保健システムにおいて拘禁がおこなわれることに倫理的問題を生じさせる。
・「心神喪失者医療観察法」との関連において(p159~160)
「心神喪失者医療観察法」にもとづく新しいシステムに精神病質者が多く取り込まれる見込みが高い。その場合、治療体制は崩壊するおそれが高くなり、精神科医、看護師は看守化せざるを得ない。また、再犯予測不能に基づく長期の不当拘禁あるいは退院後の再犯の問題もある。
●パーソン中心療法から見た境界性人格障害
・はじめに(p163~167)
治療者は診断過程に参与する者であり、治療過程とはクライアントが自分自身について自分なりの診断を展開する過程であり、診断はクライアントごとに異なる個性的なプロセスと言える。
・パーソン中心療法から見た境界性人格障害(p168~170)
境界性人格障害は「自己」に対する一貫して信頼できるガードがないので、脅威に対して生存を確保すると思えるどんな手段でもとる。いつも障害があるわけではなく、行動が生じるのは「自己」が新しい「体験」という脅威にさらされるような状況に限られる。
・境界性人格障害の治療―精神分析とパーソン中心療法との対照(p170~171)
境界例に対する精神療法は、患者が自己と他者を一貫性のある、統合された、現実的に知覚された個人として体験する能力を亢め、反応の仕方を狭めることによって自我構造を脆弱にするような防衛を用いる必要が少なくなるようにする。
・おわりに(p176~177)
パーソン中心療法は境界性人格障害という実態を措定せず、したがってその治療を構想しない。しかし、境界性人格障害といわれる状態像を呈することのある人たちの生を支援しようとする。
●『人格障害論の虚像』を読みながら思ったこと
『人格障害論の虚像』は「人格障害」という名を告発する。「それはこの用語が、人間にまつわる不都合な出来事に際して、文明や製作の失敗を隠蔽し、免責させてしまう強烈な傾向をはらんでいるため」(p182)
「人格障害は市民の表面的な安心と、専門家の精神保健のため流通するようになった言葉」(p185)
「治療を行うのではなく、彼らなりのコミュニケーションの可能性を吟味していこうという」(p187)
「ステレオタイプな家族の形式の中で、そこに君臨するものが意識・無意識に家族メンバーを支配しようとしてきたことこそが、問題ではなかったのか」(p188)→「家族の解散論」へ