AさんとBさんという2人がいる時に、「Aさんの発言をBさんは常に誤解なく理解し、その逆もまた同じ」という状態を「コミュニケーション成立比率100%」と定義したとしましょう。
“理解する”というのは“同意する”という意味ではなく、“分かる”という意味です。「自分は異なる意見をもっている」場合でも、相手の言い分が理解できれば、コミュニケーションの第一歩は成立しています。また、単語や用語が分からない場合に、その意味を聞き返すのも問題ありません。用語を説明してもらえば、コミュニケーションは成立します。
さて、みなさんには“常にお互いの発言を誤解なく理解できる”「コミュニケーション成立比率100%」の人は何人いますか? 親子や友人、恋人や配偶者、同僚や上司部下などにそういう人は多数存在するでしょうか。
コミュニケーション成立比率で人をグループ別に分けてみるとこんな感じになります。
1.90%以上
日常会話、業務上の会話に加え、感情や感覚の説明でも、ほぼストレスフリーでコミュニケーションが成立する。擬態語、擬声語の意味のとらえ方も、受信者の理解は発信者の意図と極めて近い。前提を省略した会話も問題なく成り立つ。
2.70%~90%
日常会話のほかにも、適切、効率的に協業する上でストレスを感じない。ただし、感情や感覚の説明、擬態語や擬声語を用いたコミュニケーション、前提を省略した会話については、時に誤解が生じる。
3.50%~70%
日常会話には問題はないが、一緒に仕事をするにはお互いに注意深いコミュニケーションが必要。業務の場合は、話すだけではなく、文章化や図解による確認が役に立つし、時には必要となる。
4.30%~50%
日常会話は成り立つが、仕事や議論では相手の言っていることを理解するのに時間と手間がかかり、(お互いに)フラストレーションを感じる。互いの感覚の違いから、頻繁にコミュニケーションミスが生じる。
5.20%~30%
日常会話においても、さまざまな誤解が頻繁に生じる。
6.20%未満
相手の言っていることが理解できないことが多い。自分の言いたいことも伝わっていないように感じる。思考構造が違うと感じる。
コミュニケーション成立比率が高ければいいわけではない
時々、営業員がお客さんに対して、あたかも「私は、お客様とのコミュケーション成立比率がとても高いんですよ!」というように振る舞っているのを目にします。一種の営業テクニックですね。合コンでもよく見ます。端から見る限り、「全然コミュニケーションが成り立っていないよね」と思えるのですが、本人は必死で「すごく理解し合えている感じ」を醸成しようとしています。こういうことが起こるのは、“分かりあえることは望ましいこと”ととらえられているからですよね。
では、この比率が高ければ高いほどいいのかというと、実はそうでもないのです。ちきりんも大学生のころ、この比率がとても高い人と出会いましたが、その人と話すといつも居心地の悪い思いがしました。
長年連れ添った夫婦や血を分けた親子ならともかく、初対面に近い人が自分のちょっとした発言にも“その意味”を正確に読み取ってしまうのは、心の内まで見透かされている気分になるものです。結局彼とは何回か朝方まで飲みながら話をした後、疎遠になってしまいました。
友人にしても恋愛相手にしても、必ずしもコミュニケーション成立比率は最初から高い方がいいわけではないのです。分からないものを分かろうとするプロセス、コミュニケーションの成立比率を高めていくプロセスこそ、人間関係を作るという一番楽しい部分だから、そこを飛ばして分かり合えるとむしろ “気持ち悪い”となるのでしょう。
世の中には話の通じない人も一定比率でいる
ところで、否応なく関係を持たなければならない人なのに、この比率がずいぶん低い場合はどうすればよいのでしょうか。
世間には、洋服やアクセサリーを共有し、2人で頻繁に旅行する仲良しの母娘も存在します。そういう場合、2人の間のコミュニケーション成立比率は極めて高く、おそらく“お父さんへの思い”のような微妙な感情まで、母娘で共有できているのでしょう。
反対に、関係が近くても共有できていない、例えば親なのに、子どもなのにまったく理解できないというのはとてもつらいですよね。
また、上司とのコミュニケーションが成り立ちにくいケースもとても不幸だし、それが理由で転職する人もいるのではないでしょうか。コミュニケーション成立比率20%未満な上司と働いたことがありますが、とてもつらかったし苦労しました。ずいぶんひどい評価をされて「クビになるかも」と思ったこともあります。
そういった経験を通して学んだのは、「世の中にはコミュニケーション成立比率が低く、普通に話していても分かり合えない人がいる」ということです。「人間同士、話せば分かりあえる」と思うからつらいのであって、「話の通じない人も一定比率でいる」と思えば気が楽になります。考えようによっては「今日は3割も話が通じてるなあ!」と喜べるかもしれません。
時には開き直って、「すみません。私にはあなたの言っていることが、全然分からないのです」と言ってみてもいいし、「あなたも、私の言ってることが分かりにくいんですよね?」と聞いてみてもいいかもしれません。「理解しにくい相手」の存在を認めた上で、そこからお互いに工夫すればいいのです。コミュニケーション成立比率が低い人と理解し合う第一歩は、「お互い理解しにくいですよね」と認識することなのです。
親子の場合もまったく同じで、「親子だから話さなくても分かってもらえるはず」と思うから、理解し合えないことに余計にフラストレーションがたまります。でも、親子であっても「自分とこの人はコミュニケーション成立比率が低いのだ」と認識すれば、何らかの工夫ができそうに思いませんか?
コミュニケーション成立比率の低い人たちと付き合うと世界が広がる
また、あえてコミュニケーション成立比率の低い人たちと付き合うと、視野や世界が広がるというメリットがあります。
わたしは“社会派系”ですが、一時期“芸術家系”の人たちと付き合っていた時があります。彼らの生き方や考え方はちきりんのそれとはまったく違う次元のもので、お互いに分かりあうということはあまりなかったと思います。コミュニケーション成立比率はとても低かったでしょう。
でも彼らと付き合っていた数年間は、ちきりんにとってとても貴重な期間でした。なぜなら、人は普通にしていると「自分とコミュニケーション成立比率が高い人たち」を選別して、その人たちとばかり過ごすことになるのです。友達も少しずつ(お互いに)選別されていくし、仕事だってこの比率が高い人の多い会社を選びますよね。でも、そうしていると世界はどんどん狭くなります。
コミュニケーション成立比率が低いというのは、“世界観が違う”ということです。“常識とか考え方のベースが違う”とも言えます。そういう人と付き合うことで、今まで知らなかった違う世界をのぞくことができ、思ってもいなかった体験ができることがあります。
また、コミュニケーション成立比率の高い仲間とだけ付き合っていると、自分が理解できない人や、自分の言うことを理解しない人に対して、「あいつは頭が悪い」とか「理解力がない」、もしくは「わけの分からんやつだ」と切り捨ててしまいかねません。そんなことをしていたら余計世界が狭くなります。未知の世界との扉を閉じてしまうのはもったいないことです。
というわけで、周りの人と自分のコミュニケーション成立比率を意識的に考え、比率が低い人と付き合う時には「どんな工夫をすればよいか」と考えてみてはいかがでしょう。また、あえてその比率が低い人の世界に、時々は自分から足を踏み入れてみて“違う世界”を体験してみるのもよいかもしれません。