岡本太郎7

成功しなくてもいいということを前提としてやっていれば、何でもないだろう。思いどおりの結果なんだから。逆に成功することだってあるかもしれないよ。

人の目を意識するような者に限って、人から見られもしないし問題にもされていない場合がほとんどだ。自信に満ちて見えるといわれるけれど、ぼく自身は自分を終始、落ち込ませているんだ。徹底的に自分を追い詰め、自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たないように、突き放す。

セクシュアルな結びつきでなくても、感動する女性が存在するんだよ。

人間はどんなに未熟でも、全宇宙をしょって生きてるんだ。

絶対に反抗することができない世界で、弱腰になったら負けてしまう。だから、逆に挑戦した。弱気になって逃げようとしたら、絶対に状況に負けてしまう。逆に、挑むのだ。無目的に、全く意味のない挑み。

相手の名前も知らず、地位も知らず、誠実かどうかも知らずに、目と目が合った瞬間、気持ちと気持ちがあったら、そのときすべてをささげるべきだ。その後のことは約束しなくたっていい。

自分がマメツブならそれでいい。小さな存在こそ世界をおおうのだ。

おのれをのりこえるということは、極端におのれ自身になりきること以外にはありません。

漠然なんて表現は、ごまかしにすぎないんだ。いま、漠然としているから、永遠に漠然としちゃうんだ。具体的な夢を、いまもってないといけないんだ。

人間だって孤独のなかで、静かに瞑想していても、その裏側ではウジと同じでザァーッと音をあげて生命の炎が燃えているんだ。つまり、生命というのはそれほど、凄まじいものなんだねえ。

ひとが「あらいいわね」なんて言うのは、「どうでもいいわね」と言っているのと同じなんだよ。

「危険」を感じる。それはつまり死の予感なんだ。そのとき、「よし、それなら死んでやろう」と決意しておそろしいほうに飛び込む。パアッとその瞬間、全身が生きてくる。

世界の美のあらゆる層に、何とさまざまの顔があり、また眼があるのだろう。それは宇宙と一体の交流の穴眼は存在が宇宙と合体する穴だ。その穴から、宇宙を存在のなかにとけ込ます。

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある。

死ぬのもよし、生きるのもよし。ただし、その瞬間にベストを尽くすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。

でたらめをやってごらん。口先ではでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない。

ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。

信念のためには、たとえ敗れるとわかっていても、おのれを貫く。そういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ。

絵を見にきたんじゃない。芸術にぶつかりにきたんだ。

孤独に生きるということは、人間全体として生きることなんだ。