挫折を知らない「新人ワガママちゃん」は、 配慮を欠いた“困った言動”を繰り返す
性格が未熟でわがままな若い社員「ワガママちゃん」が職場に増えている背景(ワガママちゃんができあがるメカニズム)と、彼らに顕著にみられる特徴的な5つの考え方と行動傾向については説明しました。
新人ワガママちゃんの事例を紹介し、職場における具体的な言動を捉えていきたいと思います。
【事例】新人ワガママちゃん
商社総合職・入社1年目・女性23歳
都内で会社を経営する父のもと裕福に何不自由なく育ち、女子校に通いながら進学塾にも通い、第二志望であった都内私立B大学入学。在学中の成績は平均以下。ただし学園祭実行委員やクラブ活動では中心的な役割を果たし、入社面接では、ハキハキと自分の考えを述べ、型どおりではない回答をするところに採用担当者は好感が持てたという。
新人研修では、「今にしてみれば、嫌みな校風で入らなくてよかった」と、第一志望だった大学出身の同期を避けるように行動していた。
入社後、本人は「海外とのやりとりをしたい」と、国際関係の部署への配属を望んでいたが、むしろ語学の成績は悪かったこともあり、国内食品関連部署の営業に配属された。本人は、「こんな地味なところは私向きじゃない、なんで私がスーパー廻りをしないとならないの?理解不能!!」と同期に不満を述べていた。
メンター役となった先輩は、熱血漢の営業マンで、後輩の面倒見も良かった。本人に対するOJTは、営業同行から始め、次第に複数の担当を任せるに至ったが、本人は、納品価格の交渉や新商品の案内といった業務に興味を持てない様子で、仕事への熱心さに欠けるのは明らかだった。
周囲には、「こんなくだらない仕事をいつまでやればいいのか不安。このままでは私は成長できない。やる気がでない」ともらしていた。
交渉がうまくいかないときは、先輩が自身の業務終了後に、夕食を一緒にとるなどして悩みを聞きつつサポートをしてきたが、本人は、先輩から親身にサポートしてもらっても、「なるべく指導は昼間にお願いします」「夕食とかお酒とかを先輩に付き合うのは迷惑」と感謝の気持ちはなく、課の先輩たちも次第に「自分の仕事だってたいへんなのに、尻ぬぐいしながらサポートするのがむなしい」「これなら自分が直接担当した方がよっぽどまし」と本人をもてあますようになってきた。
ついに、クライアントから担当替えを要求される
同年の秋、取引先との大口の契約を更新できず、ライバル他社に契約を持っていかれた。先輩は日頃から「クライアントにはこまめに足を運んで、要望にはできるだけすぐに対応するくらいのことをしないと上手くいかないよ」と当たり前のアドバイスをしていたが、本人はどうしても納得せず、訪問頻度を増やさずに、連絡はなるべくメールで済ませるなどの対応のまま、行動を改めようとはしなかった。今回の契約打ち切りの件も、直前まで上司に報告相談をしていなかった。
そこで、上司は、本人と1対1で話し合う場を設けて、「ホウレンソウをきちんと行うこと。多少とも営業は理不尽なこともあるので、柔軟に対応すること。今回の件を反省して、他のクライアントには、もう少し気配りを行うこと」といった指導したところ、本人は「まだ仕事のこともよくわからないのに、一人で営業に行かされたからです。もっときちんと仕事を教えていただければこんなことにならなかったのに」と反論した。
先輩は、「このクライアントは対応が困難なわけでもない、むしろやりやすい安定した顧客であり」「新人でも十分に対応できるはずと思い任せていた」「そのうえ当人の悩みにも十分に対応してきたつもりですが……」と、納得できない様子であった。
その後、年末商戦で、課員は担当する小売店への応援に駆り出されることとなり、12月は課全体が多忙を極めた。しかし本人は、小売店での応援業務を嫌い、なにかと都合をつけて断ることもしばしばだったため、クライアントからは「熱心さがない」とクレームを受けるに至った。
新年明け、クライアントから、担当者を代えて欲しいとの要求を受けて、担当を外したところ、本人は「小売店のご機嫌をとるためにこの会社に入ったんじゃありません! 相手が理不尽なことを言うから悪いんです」「そんなことを言われるとは納得できない」と泣きながら訴え、翌日から出社しなくなった。
若い社員のワガママな言動は、人格が未成熟であることの表れ
このようなタイプは、失敗してもそれは自分自身の能力や努力が不足していたとは考えず、親も「おまえは悪くない」と過剰に保護して養育してきたので、「大きく挫折し傷ついた経験」がないのです。また実際の能力に比して自己評価は過大で自信過剰、現実が見えていない、そんな若い社員が増えています。ここに前回解説した特徴の「1 他罰性と内省の欠如」と、「3 自己イメージの肥大」さらに「4 高いプライド」が見えます。
また「助けられるのが当たり前」という環境で成長してきたので、先輩が自身の業務に加えて遅くまで対応してくれているのに、感謝の気持ちはありません。挫折したことがないので本当の「人の心の痛み」を知りません。ここに前回解説の、「5 情緒的共感能力の欠如」が見えますね。先輩の苦労や気配りを知りながら無視しているのではなく、先輩の思いやりの気持ちそのものが、わからないのです。人の感情が読めないのです。
ストレス理論に「努力-報酬モデル」という考え方があります。自分で一生懸命努力しても、その分報われればストレスは案外たまりにくいものです。しかしモデルが崩れ、努力した分の成功が得られないと、ストレスは過大になって跳ね返ってきます。最近の若い人たちのなかで、進学塾などで純粋培養され、順調に受験戦争と就職戦線を勝ち抜いてきた人々は、努力報酬モデルが崩れていません。勉強すれば、ほぼ必ず成績に反映された論理的な構造で成長してきました。
しかし実社会は違います、ましてや人とのコミュニケーションが重視される営業の世界は、努力報酬モデルでは解決できないことだらけです。自分本位で、相手の役に立つという視点が欠如しているため、仕事の意義を見出せず、彼らはここで大きく戸惑います。初めての挫折です、親は助けてくれません。一人で乗り越えていくだけの気力はありません。つまり、もまれた経験のない彼らは、今まで経験したことがない、自分にとって説明がつかない世間の理不尽さに耐えられないのです。
今、求められているのは、彼らを育てる視点を持つこと
そういう彼らは、単に「未成熟」なのです。昨今、問題になっている「人格障害」とは異なり、彼らはまだ成熟の途上にあるということなのです。ですから、今、企業に求められているのは、このようなタイプの人材を「育てる」という視点を持つことです。
私がこのように言うと、多くの人事担当者は一様にこう言います。
「会社は家庭でも親でもないですよ、そこまで会社が面倒みないといけないんでしょうかね?」 お気持ちはよくわかります。しかしいくつかのコツをつかみ、彼らのこのような「困った言動」の背景を理解すれば、彼らの成熟を促すことは可能なのです。