子供の物語は人生の楽しさを発見させる
冒険は世界の広さを発見させる
大人になって知ることは
行き止まりであり空しさである
冒険さえも想像の範囲内にとどまる
子供の頃は物事を具体的に考えるから、
世界は無限に多様である
大人になって概念的にとらえるうになると、
世界は要するに一言で言えば、むなしい
たとえば、カフカの「城」を
大人風に要約すれば、人生の不条理なのだろうが、
小説を読む体験としては、
子供の頃のような、具体的な個物に接することによる、
「体験」である。
それを「不条理の体験」と抽象化してしまうと、
そこからすべてはむなしくなる。
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体験を「抽象化すること」も人間の体験のひとつなので、
そこの部分を精密に「体験」化することも可能である。
かなり頭のいい人はそんなことで「体験」を拡大しているだろう。
その「体験」をさらにもう一度抽象化すれば、
文章が生まれ、
そこに一種の文学批評や時代分析が成立する。
体験を抽象化するのではなく、
体験の抽象化という体験を抽象化すること。
読書に内閉する人間はそのようになるしかない。