平均的であること
共通の体験を持つこと
そんなことを考えながら
桜の並木の下をたくさんの人の中の一人として歩いていた
靖国神社に行ってきました
すごい人でした
千鳥ヶ淵のあたりを自動車で一回りしてきましたが
大渋滞でした
などの話を聞いていたので
名所は避けて近所の毎年見かけるような桜を今年も見ておこうと思い
一人で散歩に出かける
おじいさんやおばあさんを連れて
桜の花を見せに来たらしい人たちがたくさんいる
子どもたちはこの地域は多くない
一休みしている人たちも
おばあさんに休んでもらって
またもう少ししたらあちらを眺めてこようなどと言って励ましている
子どもはありがたいものだと思う
その母親はきれいねえ、いい桜だねえなどといいながら
何だかもう半分椅子に座って眠っているようでもある
自然現象は結構ランダムな印象を持っているのだが
こうして桜が一斉に開花している様子を見ると
ランダムでもないような感じがする
法則に縛られた側面と個体差の側面をもう少し考え直してみる必要はあるのかもしれない
普段は普遍性は当然のものとして
その上での個体差をかなりクローズアップした診療をしているのだろうと思う
これが個別の治療だと思うからだ
しかしこのように一斉に開いた桜を見せられてしまうと
やはりいいようもなく
法則に縛られた存在であり
個体差もそこからのわずかの誤差でしかないと感じられて
すこし認識が改まる感じはする
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これまで当然だけれども桜の咲かない春はなかった
桜を見ない春もほとんどなかったような気がする
立ち止まって桜を眺めていたし写真に撮ったりビデオに収めたりしていた
大学や大学病院で仕事をしていた頃は当然桜がたくさんあった
そこを離れてもおおむね大規模な老舗の病院は敷地も広く桜の古樹があるようなのが普通だった
桜の並木がきれいな住宅街を通って通勤していた頃もある
そんな桜がないときにでも
一応写真でも撮ろうかと思ってカメラを持って一人で散歩に出かけたりしたものだ
春になったら桜を一応は見て
毎年同じだと思いつつも
やはり、ああこれが桜かと思い
何かの感慨を抱く
それは平均的で共有の体験である
そこから平均的な感想も生まれ共有の感情が生まれるのだろう
たとえば
去年は桜を見たのにもう今年はこの世にいない人を思い出す
もっと古い記憶と対照すれば
家族の年譜を思い出すことも多いだろう
年ごとの花見を思い出して感慨に耽る
写真が残っている場合も多いと思う
それもみな平均的な感想なのだと思うと不思議な感じもする
個人的な体験であるはずなのに
共有の体験であり
多くを語らずに通じ合うものである
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ちょうど桜の満開の陽に北朝鮮のミサイルが発射されて
結局日本に具体的な被害はなくて終わったようだった
しかし現実にまたもこのようなミサイル実験をされて、
しかも今回は迎撃するとかの騒ぎをずいぶん長い時間をかけて報道しており、
結局、ずさんな体制であることも報道された
今回は発射されたとの誤報が二度もあり
それに対しての各所での対応のまずさがそれぞれに違ったまずさであったとかで
記事になっていた
面白いと思ったのはある地方局で
発射されたとの知らせに接して緊急ニュースにしようとして失敗し
おかしいなと思っているうちに誤報であることが知らされ
まずいということで、さっきのは誤報でしたとニュースにしたが、それも流れず、
結局、発射も、誤報であった旨も、どちらも流れず、
結果としては、それでよかったらしいとのことだった
各地でおかしな反応がいろいろとあってまったく持って不手際であったことが露呈
防衛大臣が弁明していたらしい
海賊が出るから護衛しないといけないと言い
ミサイルが撃たれるから宇宙または領空の防衛が必要であると言い
日本は今後どのようにして世界の中で仕事をしていくのかの話ではなく
そのような方向の話に流れていくのは
何だかよくないだろうと思うけれど
考えてみれば
何となくそんな感じに感情も判断も流されるのが人間というもので
それは桜が満開だと言われれば一応足を運んでみたくなる人間の心理と同じもので
どうしようもないだろうし
マスコミが操作しようとしているものは
平均温度何度になれば桜が咲くと言うくらい確実で法則的な部分を扱っているのであるから
かなりの部分で仕方がないことなのだと思う
人民の心がマスコミに支配されない状態を作るのは困難というもので
春になっても桜が咲かないようにすることに似ている
マスコミが人民の心を支配するのはそれは法則に座区する部分として仕方がないとして
ではそのマスコミをどのようにして支配するかをきちんと決めていかないといけないことになる
そこの部分を裏取引みたいに決められていたのでは
人民は救われようがない
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平均的でない人は
マスコミで何を言われても独自の鋭さで判断するものだろう
しかし平均的である人が大半であることは平均的であることの定義なのであるから
たいていの人が平均的であることは仕方がない