嫉妬

平安時代の文学に嫉妬の感情はどのくらいあったものだろうかと考えている

嫉妬するというのは
ただ一つの貴重なものを誰かが独占していて
自分には回ってこないから嫉妬するのであって
順番を待っていれば自分にも回ってくるというのであれば
特に嫉妬もしないはずである

光源氏などと関わって嫉妬するなどというのは勘違いも甚だしく
妄想といってもいいくらいだ
独占できるはずはないのだ

男性と女性の性の違いからいうと
女性が男性を独占しておくことは不可能である

また当時の制度として、なるべくたくさん跡継ぎがいた方がよかったわけだから、
女性にとって他の女性は排他的ではないことになる

そんな状況では嫉妬に身を焦がすとか
そんなことは言わなくてもすむのではないか
ただ単純に自分とその人がうまくいっているか、うまくいかなくなったか、飽きたか、飽きられたか、
それだけのことで、どこかの別な女に取られたとか、そんなことで悩みはしないだろうと思う

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現代では微妙に一夫一婦制度なので
飽きられた自分が悪いと反省はせず
横取りした若い女が悪いと考える

嫉妬である

そしてさらに
いまここでわたしが勝利したとしても
すぐに立場は入れ替わり
さらに新しい女が現れてわたしは飽きられ捨てられる

そう考えると自分が追い出す女に対しての同情が芽生える
明日は我が身の苦しみにいま苦しんでいるのがその女である
同情もわくというものだ

浮気をしない男がいいけれど
そうでなければ一度だけ、わたしとだけ浮気をして、あとはしない男がいいけれど
そんなものいるはずがない

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逆に自分だけのものと考えるから
取られたときに悔しいのであって
そのような所有とか一夫一婦制の契約の観念が
まず持って怪しいのだと思う

わたしの姉は
眠ると目をつむるお人形さんがとても気に入っていた時期がある
しかし気に入ったお人形さんを思い出さない日がすぐにやってきた
そんな程度のものである