品川のホテルにて

横須賀線の端っこの駅に私は住んでいて、
娘はまだ小学生、
夫とは離婚して長いあいだ連絡がなかった。

週の真ん中を一日休みにして、
カズタケと品川のホテルで会った。
カズタケは営業で外回りだから、都合をつけて休みにしていた。
私はサングラスをかけて、いつもと違う下着をつけて、電車に乗る。
チクチクして気持ちよかった。

到着するまでに私は、母親でなくなり、女医であることもやめ、
むき出しのままの葉子になる。
わたしは彼の前で、「本性のままの女と彼が思う女」を演じた。
その演技を私は気に入った。
露悪的な気分になり、ホテルのベッドメイクの係に、
紫のため息をつかせてやりたいと思っていた。

だんだんエスカレートして、
ベッドメイクを実際困らせたと思うが、
そんなことは私の知ったことではない。
ただ「没入すること」それだけが目的になった。

テニスも数年間、別の習い事も付き合いだったが数年間、
しかしそんなものは代理の気晴らしに過ぎなかった。
人生の本当の時間がそこにはあった。
「愛」というのとも少し手触りが違う。
何かもっと自分本位なものだった。
自分が生きていくのに必要な行為、そして時間だった。

不思議なことに行為に向けてわたしはとても冷静に乱れ始め、
行為に没入し、行為のあとでとても優美に振る舞うことができた。
「さっきの自分は何だったのだろうと、女は思うものだ」と彼は考えていて、
その通りに私は演じていた。

彼にその頃の自分がどう映っていたのか、
聞きたい気もするが、いまはもう接触しない方がいいと分かっている。
私には失いたくないものがたくさんできた。
私は最後に優美だっただろうか、いまはそれがが聞きたいのだった。

行為のバリエーションはいろんなメディアで目にして耳にしていた。
私は研究するようにしていた。
そのような行為をするとして、私ならどんな表情で、どんな声を出して、
どんなタイミングで、しかしそのタイミングをもっと延ばしてみた場合に、
どこがどんなふうになりそうか、
そしてそれは回を重ねるごとにどうなってしまうのか、
考え続けた。

私は自分の性的欲望のピークがその時にあったと、
はっきり思い出すことができる。
それ以前も、それ以後も、そんなにはできなかった。
それはやはりかわいい少女であり、まっとうな妻であり、娘を嫁がせた母であり、
常識のある社会人である、
そんな「属性」が、私の艶を消してしまっていたのだと思う。
「性的存在」、若い頃自分がそのような一時期を人生の中で持つなどとは思っていなかった。
そしてそのピークを過ぎたいまでは、そんな時間があったなどとは、信じられない。

私たちがしばしば過ごしたホテルの喫茶店を使うことがあるが、
いまも男と女はこの中で不思議な時間を持っているのだと、
改めて強く思うことがある。
春、桜の季節に強くそう思うのかもしれない。