時代の消耗感

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その昔、石川啄木が時代の閉塞感を語った

わたしはいま時代の消耗感を感じる
これは時代と言っていいのか
それとも単純に自分の周囲の状況の消耗感と言うべきか
分からないところもあるのだけれど
知人もメールで
時代の空気としての消耗感と表現していた

医療崩壊が問題になっているが
建築現場での、昔ならなかったような事故とか、
検察や警察で明るみに出される不祥事とか、
教育現場での思いもかけないような劣悪な現状とか、
選挙のたびに言われる愚劣な環境とか、
人間は長い時間をかけていったい何をしてきたのだろうかと
疑問に思うところも多い

また一方で実にタフで立派な人も多いもので
それについては勇気をいただいている

先日高橋是清の自伝の話になり
この人は私生児で生まれアメリカでうっかり奴隷契約にサインして奴隷として使役されたり
そのあともジェットコースターのような人生を生きて
最後は226事件で暗殺されてしまった。
苦難なんて言うものではない人生であった。
桁違いである。

時代の消耗感を遙かに超える人間もまたたくさんいるものなのだと思う