アルゼンチンタンゴの場合、
本質的には即興で自由に踊るもので
それを決めているのは男性側で女性はリードされていればいいのだと
書いてある
同じ曲を同じ伴奏で踊っても同じ踊りにはならないそうで
踊っている間にわいたインスピレーションを即座に織り込んで
パートナーをリードする
女性は勝手に動かず男性のリードに従う
男性が背に回した指先のリード一つで二人が一体になる
アルゼンチンタンゴを踊っているときは恋人同士である
カウントもないし、スロー・クイックもない
カウントもないし、スロー・クイックもない
社交ダンスではホールドであるが
アルゼンチンタンゴでは抱擁である
社交ダンスは横から見るとY字型で
アルゼンチンタンゴはA字型である 抱擁して下半身を離す
アルゼンチンタンゴはA字型である 抱擁して下半身を離す
社交ダンスの二人の視線は合うことがない
お互いが左方向を見ている
アルゼンチンタンゴは同じ方向を見たり見つめ合ったりする
基本はサリーダとかオーチォで、それだけでも困らないらしい
ラ・クンパルシータ
エル・チョクロ
ドン・フアン
リベルタンゴ
バンドネオンの嘆き
フェリシア
などが有名な曲
囚人14号
アストル・ピアソラのCDはこの本に載っているだけで
64枚
ブエノスアイレスな夜
ブエノスアイレスのマリア
エル・タンゴ……ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩と散文に作曲したもの。ボルヘスと解釈の違いで不和。同じエル・タンゴのタイトルで歌手ミルバと作ったものもある。
タンゴ:ゼロ・アワー
藤沢嵐子さんという人が昔の有名な人らしい
「ブエノスアイレスでわたしは死のう」
「3001年へのプレリュード」
「もう一度わたしは生まれてくるわ。もっと強く愛するために」
リベルタンゴについて「自由を手に入れるために別れた人に、いま愛の歌を届けたい」「激しい恋は主張し合うから激突して引き裂かれてゆく」
「裏通りの二人」
リベルタンゴについて「自由を手に入れるために別れた人に、いま愛の歌を届けたい」「激しい恋は主張し合うから激突して引き裂かれてゆく」
「裏通りの二人」
「わたしを捨てないで、のぞみはただそれだけ」
1987年 タンゴ・アルゼカチーノ 成功
ブエノスアイレスともう一つ、ウルグアイのモンテビデオ
バンドネオンは1820年代、
ドイツ人ハインリッヒ・バンドが発明したもの
教会音楽のオルガンは持ち運びも不便でどうにかならないかということで考案された
教会音楽のオルガンは持ち運びも不便でどうにかならないかということで考案された
1890年頃、アルゼンチンに持ち込まれた
あまりにもタンゴにぴったりで以後バンドネオンが主役になる
あまりにもタンゴにぴったりで以後バンドネオンが主役になる
すすり泣くバイオリン
むせび泣くバンドネオン
ディアトニック方式 合理的で発展性があり、最も多く使われている
クロマティック方式 半音階、三つの音がひとつのグループ 日本人の一部はこれを使う
最初はいかがわしい風俗だとして法律で禁止されたこともあった
なにしろ男と女が密着しすぎる
楽譜が書かれ、バンドネオンが導入され、レコードもできた。
ダンス音楽から歌のタンゴとしての側面が強くなった。
なにしろ男と女が密着しすぎる
楽譜が書かれ、バンドネオンが導入され、レコードもできた。
ダンス音楽から歌のタンゴとしての側面が強くなった。
ダンスホールが出来、「エビータ」の時代があり、
移民の中でも落ちこぼれが多かったのがアルゼンチンで、
さらにその中心都市がブエノスアイレスで
つまり農地を持たない都市労働者の町であった
さらにその中心都市がブエノスアイレスで
つまり農地を持たない都市労働者の町であった
そのためアメリカ資本主義の支配を直接に受けた時代があり
さらにテレビの時代が続いていく
さらにテレビの時代が続いていく
歌の基本は
振られた男が自分を捨てた女への未練を歌うというもので
たとえば
たとえば
「わが悲しみの夜」
俺の人生が一番よかったときに
俺を捨てていった女
俺の魂を傷つけ
心にとげを刺したまま
俺がお前を愛していることも
お前が俺の喜びだということも
お前が俺の喜びだということも
燃えたぎる夢だということも
お前は全部知っていながら
俺を捨てていった
俺にはもう慰めがない
お前の愛を忘れようと
酒に身を任せている
未練な酒という主題は日本の演歌でもいつも好まれている
このパターンは男社会の男たちが
捨てられた女が男への未練を歌う歌を歌って楽しむという態度よりも
すこしはいいと思う
捨てられた女が男への未練を歌う歌を歌って楽しむという態度よりも
すこしはいいと思う
マッチョな社会には
それにふさわしいあばずれな女が存在するもので
やはりいろんな事情で男を振ってしまうものらしい
そんなことしているうちに
人生はなくなってしまうのにね