安部公房の作品は大学に入学してすぐに全集で読んだ。
その後は読み返すことがなかった。
自分は安部公房がとても好きだと意識していたのだが、
その後は読み返さなかった。
なぜなのだろう。
今回、やっとのことで手にとって、読み始めた。
どの作品でもよかったけれど、
偶然選んだのは「他人の顔」だった。
最初の少しだけ読んで、あと読めなかった。
多分、一種のフラッシュバックなのだろう。
あの当時の生きる気分がまざまざと蘇ってきた。
あのゆるゆるとした、長い下り坂を予定されているような気分、
時間との戦いの前には全ては無力であると自覚したあとの空しさ、
自分がいま居る場所へのどうしようもない違和感、
そうしたものがない交ぜになって
どうしようもなさに結果する。
要するにすべてを諦めれば、それでいいのだと、
それだけが唯一の結論だった。
いままた似た状況で、私は安部公房を手に取ったのだが、
状況も季節も似すぎているのだろう、
耐えられない。
思えば大学に入学してから遠い遠い回り道をして、
どうにか自分の住む場所を確保したかに見えたのだった。
長い時間だった。
そしてその場所もいまはすでにない。
ここに至って、私は自分の意識が、最初の出発点の意識に似ていることに
気付いている。
文章の質感に見覚えがある。
レトリックに覚えがある。
これは懐かしいが、思い出したいものではなかった。
そう思ったのだ。