脳にはどれだけの回路があるものかと思うが
意外と少ないようにも思う
少なくとも私の祖母の場合には少ない回路で運用を工夫していることがよく分かる
どの場面で、どの回路を使ったら適切で適応的なのかを判断するのが
セルフアイデンティティという高次機能回路なのだという考えは前に述べた
人と話していて、またその行動を見ていて、
たとえば対人行動の回路がどのくらいの種類があるのかなと考えていることがある
文明が発達していない頃は
生産力が決定的に不足しているので
自分で働いて自分の食べる分を確保しないといけない
文明が発達して生産力が上昇すると
実際に生産に従事する人は少なくても、
食料や衣料はたくさん生産されてしまう
だからそれをどのように分配するかとか
どのようにして付加価値という幻想を生み出すかという面に
多くの労力が割り当てられる
その場合、基本になるのは人の心をつかむという対人関係能力になる
昔なら、オレは職人だ、素人のいうことなんか聞けるか、と言っていられたが
最近では、そんなやつとは契約しない、
そこそこの製品はいくらでもあるのだから、
ほどほどのものを気分良く消費させていただくという方針になる
なんといっても生産過剰な社会でものを買わせるには対人関係能力である
コマーシャルの能力なども対人関係能力の一部である
エスキモーに氷を買わせ
日本人に水を買わせるのには
なんと言っても対人関係で幻想を作り出す機能が重要だ
対人関係が苦手な人にとってはますます生きにくい社会になってきた
対人関係の脳回路はたくさんあればそれに越したことはない
もちろん適応が良くなる
どの人も子どもの頃は脳機能が発達しやすく回路を作りやすい時期なので
この時期に多くの種類の対人関係パターンを作っておけば有利である
昔は一人っ子についてあれこれ言われたものだが
翻訳してみると
一人っ子は基本的に父と母に対する対人関係しか学んでいないのだ
兄弟がいれば
例えば対兄、対妹に対しての回路を作ることができる
食料が決定的に不足していた昔なら別だが
現代では対人関係以上に食料が大事ということはあまりない
対人関係によって食料を確保する必要があまりない
そのような豊かな社会になれば
対人関係の主な機能はやはり性行動である
平安貴族がそうであったように
衣食が満ち足りてのち、人間の関心は権力(とその源泉としての財産)と生殖である
マザコンといわれる古い言葉があって、
これは母親との対人関係回路を妻との対人関係回路として流用している怠惰な男性のことを言う
同じことはファザコンでもブラコンでも言えて、
夫に対しての対人関係を父と娘の関係で代用したり、兄と妹の関係で代用したりする。
夫婦も数年すればセックスもなくなるというのは、
夫婦関係の回路を作らず、
子どもの頃の対人関係の脳回路で代用しているからである
ロリコンというものもあって
それは幼い子どもをかわいがるという回路を持てなかった人が
幼い子どもとの対人関係を性愛の回路で代用してしまうから起こることである
考えてみれば
たくさんの回路を用意しておくことは脳にとって負担であるし
いつ、どの回路を使えば良いかの判断にも負担がかかるわけで
できれば少ない単純な回路でどの場面でも通用させたいのである
それは脳の原則である
だから発達の過程でもっとも原初的な異性との関係を
夫婦関係に流用するのだし
幼い子補かわいがるときに
性愛回路で代用したりもするのである
これら二つの例では脳回路の節約のしすぎなのであるが、
それでは何種類のパターンを持っていれば充分なのかとか、
生育の過程で発達させられなかった対人関係パターンを
あとで必要だと思って発達させることはどれだけできるのかとか
問題がある
たとえば、恋愛するといつも父親との関係みたいになって、
一方手に甘えさせてもらい、愛情を供給してもらうことを要求する人がいたとして、
これは実際多いのだけれど、
その人がどうしたら、通常の性愛の対人関係パターンを学ぶことができるのかと考えると
実際に出会う異性は、多分自分と同じくらい対人関係に問題を抱えていることもあり、
その人との関係ですべてを学べるわけではないのだ
その人とうまくやることが
性愛の対人関係パターンを習得することにはならず
相手の持つ精神病理に巻き込まれるだけである場合もある
このあたりは難しくて
多くの場合はいろいろと苦労して10年くらいかけて
やっと気付いたり決心したりできるのだと思う
その頃には資力も決意もなくなっていて
家のローンと子どもの教育費が第一になっていて
それ以上考えたくなくなる
幸いなことにローンの繰り上げ返済ができて
子どもが独り立ちして
よく考えてみると
つまらない人生だったことが見えてしまう
つまらないという意味は
性愛としての異性との出会いをしていないし発展をさせていないと気付いてしまうことだ
脳回路を節約しすぎたのである
たくさんの人とつきあったとしても
同じパターンを繰り返しているのであれば
対人関係レパートリーの獲得という点では全く意味はない
しかしながらいくつかの対人関係パターンをどの人にどれを使うかの判断も難しい
会社でくっついたり離れたりしているのは
期待したり失望したりしているのであって
そのたびに対人関係パターンを変化させていることもある
そんなわけで疲れる
疲れないようにやや引きこもり
たったひとつのパターンで押し通すというのも方法である
地味だが平穏になる
ーーーーー
そんなわけで結論も出ないのだが
脳回路はなるべく節約したいが
節約しすぎると不都合も起こるわけで
発達の過程で一番強力なのは父母との関係であるし
本能として組み込まれているのは性愛の関係であるが
この二者でさえ混同されている場合があり
少なくともこの部分くらいは流用しないで別個に発達させたいものだと思う
夫は母と妻をきちんと区別して
母は自分を保護してくれる人
妻は自分が保護する人と
考えたほうがいい