いたづらに 身をぞ捨てつる 人をおもふ 心やふかき 谷となるらむ 和泉式部

いたづらに 身をぞ捨てつる 人をおもふ 心やふかき 谷となるらむ 和泉式部
むなしく命を捨ててしまった人たちのことを思うよ。恋する心は深い谷となるのだろうか。
(そうして彼らは谷へ身を投げてしまったのだろうか。)
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解釈は学者先生のものだと思うが
これでいいのだろうか
()の中は余計だろう
谷と身を捨てるは関係があるとは分かるけれど
心が谷になったから、谷に身を投げるとは、どうかと思うが、解釈はそうなるのだろうか。
まあ、そう思えなくもないのだが
英語でdepressionと表現するところを、日本語でうつではなく「谷」といってもいいのだろう
うつは、他に、日常語ではあまり使わないが、depressive はもっと普通に使う言葉だし
経済学の景気の波も、depressiveで、「谷」や「谷底」を意味しているから、
案外、「谷」はグローバルなセンスなのかもしれない。
うつ病を、「谷ですな」といい、重症を「深い谷」とよべばいいのだろう
大谷、中谷、小谷といえば、メジャー・デプレッションの言葉とよく重なる
小谷さんは、マイナー・デプレッションですね
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解釈では、複数の人になっていますね、何人も、死んでいることになる、すごいぞ、和泉式部。
でも、単数でもいいようにも思う。
むなしく命を捨ててしまった人のことを思う。心は深い谷となる。
こころは誰の心かと考えると、やはり、身を捨てた人の心で、
恋をして、心が深い谷になってしまったのだと思えるんだけれど、
そのことを言っているのは、作者であって、
歌は何となく前半と後半で独立性が高い感じもあるので
そうした全体のことを思うと、わたしの心も谷になるという意味合いを含んでいるとは思う。
作者が和泉式部なんだから
多分流れとしては、和泉式部に恋をした男性が、和泉式部に拒否されて、
心が谷になって、身を捨てた、ということなのだろう。
身を捨てるというのは、実際に、谷に身を投げたのかもしれないし、
出家したとかの意味でもいいのだと思う。
意訳
あたしに振られたくらいで出家していてどうする、振られるってのは半分、わかってたことでしょ、
一時的にうつになったのは同情するけどね、あたしとしても、ケアしきれないし
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複数で解釈すると、
もう何人も何人も、あたしに振られたくらいで出家していてどうするかなぁ、
あたしは一人しかいないんだし、たくさんに言われても、ひとり以外は振られるってのは、わかってたことでしょ、
一時的にうつになったのは同情するけどね、あたしとしても、ケアしきれないわ
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わたしは個人的には学者先生は色恋の達人ではないとは思わない
むしろ達人がたくさんいる
なにしろ初花を摘み取るのは圧倒的に彼らなのだ
教育者よ、何を教育しているのだ、そんなにも懸命に
そんな人たちが
知らんふりで素っ気ない解釈を書いているのが
実に「プロの仕業だ」と思うのである
彼らは妄想よりも現実で忙しい