うつ病と「悲哀の仕事」の関係 「喪失体験」「対象喪失」

うつ病と「悲哀の仕事」の関係を理解する
 今回は、うつ病になりやすい性格(うつ病の病前性格)を紹介しながら、うつ病を発症するきっかけについて説明していきたい。
 うつ病になりやすい性格としては、次の2つが有名である。
■メランコリー親和型性格
 ドイツの精神科医テレンバッハが指摘したもの。ルールや秩序への志向性が強く、仕事上では責任感が強く、周囲から期待される性格である。対人関係も、「相手がいて自分がいる」という考え方で接する。いわば「いい人」であり、友人も多く、職場でも信頼される。
■執着気質
 わが国の精神科医である下田光造が指摘したもので、熱中性、執着性、徹底性、律儀、強い責任感などが特徴である。いわば「真面目な人」であり、職場では絶対的に信頼されて、仕事を任されることが多い。
 メランコリー親和型性格の人は、連続性や一貫性を大切にする。他人を大事にしながら、与えられた課題を完全に達成する「責任感が強い性格」である。こうした性格の人にとっての危機は、その連続性がとぎれることであり、一貫性がなくなる時である。これがいわゆる「喪失体験」であり、心理学的には「対象喪失」と呼ばれる。メランコリー親和型性格の人は、対象喪失をきっかけにうつ病を発症しやすい。
 対象喪失には、大まかにいうと、次の3種類がある。
 1つめは「もの」を失うことである。財布を落としたり、大切にしていた物を盗まれたりするなど、物理的・外的な「もの」だけでなく、心理的・内的な「もの」をなくすこともこれに含まれる。例えば、死別や失恋はもちろんのこと、けんかをして友情関係を失ったり、子供が成人して家を出ていったり、娘が嫁いでいくことなどである。
 2つめは、自己と一体化していた環境・地位・役割を失うことである。具体的には、住み慣れた家からの転居や故郷からの別れ、定年退職、転勤、卒業、転校などである。病気やけがによって、それまでの社会の中での役職や、家庭内での役割を失うことも、これに含まれる。
 3つめは、自分自身の機能や体の一部を失う場合である。けがをしたり、手術などで身体の一部やその機能を失ったりすることはもちろんだが、心筋梗塞などの病気に罹患して、仕事上や日常生活の制約を受けたり、性欲や野心などを失ったりする場合も含まれる。
 こうした対象喪失は、当然のことながら、そうそう簡単に忘れることはできず、長い時間をかけて様々な心理状態をくり返しながら、対象喪失を知的に理解しつつ、失った対象を情緒的にも断念していくという過程を経る。さまざまな情緒状態や防衛機制をくり返す、こうした一連の心理過程のことを「悲哀の仕事」と呼ぶ。「対象喪失」に続く「悲哀の仕事」を理解しておくことは、うつ病の発生過程を理解するのに非常に有益である。
否認、現実検討、怒り、躁的防衛、自責…
 「悲哀の仕事」の最初は「否認」である。これは、現実に起こっていることを無意識的に認めまいとする防衛機制であり、対象を失ったということを認めまいとする心理機制である。具体的には、「まさか」「そんな馬鹿なことはない」「何かの間違いだ」などと表現されることが多い。「否認」という心理機制は、次の段階である「現実検討」と交錯しながら進んでいく。現実検討がなされた時点から、真の「悲哀の仕事」が始まることになる。
 悲哀の仕事の経過中には、様々な心理・情緒状態や心理的防衛機制が混在して見られる。例えば、一時的にせよ、失った対象に対する「執着」が高じると、「ああ、オレも昔は○○だったんだなあ」と、失った対象への「理想化」が始まる。一方で、「なぜ自分だけが、こんなにつらい目に遭わなければいけないんだ」という「怒り」の感情も現われてくる。
 怒りを、より身近な例で説明するとすれば、医局のチームでやってきた仕事が失敗したという対象喪失に際して、「あんなに頑張ってやってきたのに教授に叱られるなんて。まったく同僚のAは何をしているんだ。言ってくれれば手伝ってやったのに…」とイライラしたり、「うまくいかなかったのは、元はといえば、部長が俺ばっかりに仕事を押しつけたからじゃないか」と憤ったりする。このような上司や同僚への「怒り」が、家族への八つ当たりになるとすれば、それは「置換」という防衛機制が働いていると考えることができる。
 一方で、特にメランコリー親和型性格の人は、相手を責めるばかりではなく、「悔やみ」や「自責」が見られるようにもなる。「なぜ、もっと自分自身がもっと頑張れなかったんだろう」とか、「自分さえもっと気をつけていれば、こんな失敗にはならなかったんだ」といった具合である。逆に、いつもよりも明るくふるまうケースもあるが、これは「躁的防衛」と呼ばれるもので、抑うつ的になることへの防衛機制であると理解できる。
 このような心理過程を経ながら、抑うつを克服して(抑うつを軽い程度にとどめて)、新しい状況に再適応していければ、うつ病に至らずに済むことになる。しかし、どんなに誤魔化そうとしても、どんなに忘れようとしても、「現実的な状況は少しも変化していない」「自分たちが大きな失敗をしたことはやはり事実なのだ」などと認識してしまうと、少しずつ「抑うつ」という最終的な段階に進んでしまうのである。
執着基質の人は「過労」が原因に
 一方、執着気質の人は、いったん仕事を始めたら、最後まで完璧に仕上げるようと精一杯の努力をする。そのため、上司も「あいつに任せておけば安心できる」という信頼感を寄せ、結果として、「仕事ができるやつ」「真面目な人」という評価が、上司からだけでなく、同僚や後輩からも得られるようになる。しかし、あまりに真面目すぎて、臨機応変に対応するとか、休むとか、気を抜くといった対応ができないという欠点がある。
 このような人がうつ病になるとしたら、それは過労がきっかけである。自分自身が過労状況であることに気付かずに、与えられた仕事を最後までやり通そうとするため、知らず知らずのうちに、抜け出すことができないほどの疲弊状況に陥ってしまうのである。