人間が思いがけないことをするとき

人間は思いがけないことをする

不思議な生き物である
しかし
思いがけないと思っているのは
本人だけで
医学はそれも説明する
酒に酔って自分でも思いがけないことをしてしまうのは
わかりやすい例だろう
夜中に過食をしているのも
夜になって意識レベルが低下しているので
そんな思いがけないことをしているらしい
もっと詳しく言うとこんな感じ
***
人間の脳はタマネギみたいな層構造になっている
古い方が芯にあって
新しい方が外側になっている
ずっと昔は平屋建て
そろそろ建て増ししようかということになり二階を増築
そのあとで三階を増築
そしてまた四階を増築
そんな風にして建て増ししてきた
たぶん10万年に一回とかそんな感じ
どんどん増築すれば未来人だと思うけれど
脳が発達しすぎると
お母さんのお腹から出てこられなくなってしまう
だから限界がある
全員帝王切開ならば話は違うけれど
そのたびに血管などは継ぎ足して延ばして使う
家でいえば水道管を少しずつ延ばすようなものだ
一階の水道管の途中から枝分かれを作って二階に届ける
そこからまた枝分かれを作って三階に
次にまた枝分かれを作って四階に、
という具合で、水の供給が安定しているのはやはり一階なのだ
原則としては
脳の血管は
内側からと外側から供給されていて(まあ、当然ですね)
一番内側と一番外側は比較的血液が行き届く
中間くらいが、
内側からでも、外側からでも、
どちらから来てもいいよという体制になっているが、
そうなると、責任がはっきりしないで、ほったらかしにされるのは
世の常で、脳の場合も、そうなっている
脳梗塞が起こるならまずそのあたりということになる
命の維持に大切なのは内側にある古い部分で
呼吸とか食事とかそんな部分で本能と関係がある
この部分は大事だから構造としても頑丈にできている
脳の、ほかが全部機能停止しても、ここだけは機能を続行していることも稀ならずあり、
植物状態と呼ぶことがある
新しい部分は、そのような古い部分を、いつ、どの程度発揮してもいいかを
コントロールしていると考えればいいと思う
変なときに、変な程度に、性欲を発揮すると変なわけだし、
必要なときに、必要なだけの性欲を発揮しないのも、不都合なわけだ
だから、新しい部分が古い部分をコントロールしているのだけれど、
逆に、古い部分が新しい部分を駆動しているとも言える
性欲があるから
それが社会的に通用する形になって
芸術が生まれるとか
そんな話
歌を歌うなんていうのは
その典型で
用もないのに歌を歌う人もいない
もともとは性的な信号として歌を歌っていたわけだ
声に張りがあるとか
肺活量があるとか
言葉をきちんと言えるとか
そのあたりが
性選択にかかわっている
しかし現代ではあからさまには歌を性的なものとは考えない
そのような具合で
古い構造、つまり本能があるから
その上部の、知性なども成立しているのだと言える
シモーヌ・ヴェイユなどは
そこのところを認めたがらない
自分が性的対象であり
また自分にも性欲があることを
隠蔽し、拒否しようとするので、いろいろな無理も、不都合も生じる
それはそれとして、古い構造と新しい構造はそのような微妙な関係になっている
進化論的に古いというのと同時に
個体発生としても、古いと新しいが存在している
赤ん坊の頃の記憶が古い方にあって
大人の頃の記憶は新しい方にあって
たまねぎみたいな層構造になっている
こんな風にできている脳が
アルコールでしびれるときには
たいてい新しい部分からしびれていく
新しい部分が機能停止するので
それよりすこしだけ古い部分の機能が出てくる
30歳の部分が停止すると20歳の部分が出てきて
そこも停止すると10歳の部分が現れる
すごくショックなときや動揺したときに
方言で嘆いていたりする
この場合、
(1)新しい機能が失われることによる症状
(2)古い部分を抑制できなくなることによる症状
の二つが同時に現れることになる
ここが頭のいいところで
ジャクソン先生が頑固に言い続けたので
ジャクソニスムと呼んでいる
アンリ・エーとかフランスの有名な人がジャクソン先生の説を紹介して広めたので
フランス風に発音する
お酒を飲んだおやじが
(1)知的な会話ができなくなる
(2)ただ心底スケベになる、なぜかネクタイをはちまきにする
という現象に対応している
キャバ嬢はその変貌の現場にいつもつきあって
よしよししてあげているわけだ
たまに頭に巻き付けたネクタイを引っ張ってキスをしてあげたりしている
それで商売になる
人によってはお酒を飲んで理性的な判断ができなくなり
食欲が更新してしまう人もいる
何でも食べる
ーー
さて、このような上位機能の停止が
アルコールで起こる場合は比較的分かりやすい
また、睡眠リズムが崩れていて
夜にぐっすり眠っていなかったり、昼にはっきり起きていなかったりすると、
いろいろと不具合が起きやすい
夜中にハーゲンダッツを一箱食べてしまい
次の朝に食卓の食べ散らかしようを見て初めて知る
催眠術みたいに何かの一言で
上位中枢が麻痺してしまい
夢遊病みたいになってしまうことだってある
人間の脳が記憶している古い部分は当然家族の記憶で
だから
脳の障害が起こると

上位の機能が停止して下位の機能が現れということは

大人の自分が失われて
子供の自分が現れるので
母親とか父親、兄弟などが重要な要素になる
実際、母親が問題の原因で、症状が起こる場合もあるのだが、
上位中枢が機能停止しているから、母親が現れるという必然でもあるわけで、
結果であるという場合も結構ある
話を聞けばたいてい、母親の問題とか
兄弟と比較されたとか、友達によるいじめがあったとか、
共通の話題になる
人間の経験はある程度共通なので
(2)があらわれるとすればそんな具合だろうと見当はつく
ーー
こんなわけで
おおむねをいうと
ストレスにさらされたときに
(1)上位機能が停止して
(2)下位機能が現れる
会社から帰ると過食してしまうという場合、
(1)と(2)が二つ現れているわけだ
(1)と(2)はどちらも結果なのであって、
ストレスをコントロールしないとうまくはいかない
過食の場合、食欲の問題なのかといえば、そうとも言えない
性本脳とか攻撃本能に比較すると食欲本能は
発揮してもさして周囲に迷惑をかけない
だから、なるべく損失の少ない脳回路を使って悩んでいるのだとも言える
太るのは困るのでたいていは吐くわけだけれど
本人以外はさして苦痛ではないので
まずまずいい方のストレス発散ではないかといわれている
でも本人は相当苦しいので何とかしてあげたいが
人生が全体として行き悩んでいてストレスを感じて
上位機能が停止する場合が多くて
簡単ではない
ーー
そんなとき個人的にはうちの田舎のおばあちゃんを
思い浮かべている
人並み以下の人生を
人並み以下の苦しみで乗り切った偉大さと言えるだろう
多くを望まなかったからだと思う
謙譲といえば言えるのだが本人はそんな気持ちもない
本人なりに信仰があって、また、世俗を生きる方針もあって、
それは何か大声で言うほどのものではないが、
個人サイズのものとして、それはそれでよかった
自分が生まれた風土に根ざして
ちょうどいいサイズの思想を身につけていた
大思想はないが
つぎはぎもあまりない
小さく閉じた丸い輪がある
現代人は大思想がありそうなのだけれど
輪は閉じていないし
その隙間の部分にいろいろな変なものが入り込んでいるし
おまけに本体がつぎはぎだらけで
なんとも説明のしようのないものになっている
おばあちゃんのことを褒めたけれど
高野山に行きたいともいうし靖国神社に行きたいともいうし
何も考えていないのは確かなのだった
それでどうして苦しくないのか
むしろ不思議なのだが
そこがおばあちゃんのOSの頑丈さだと思う
winでもMacでもどっちでもいいという頑丈さだ
おまけにクリスマスはクリスマスで矛盾なく受け入れていたので
LinuxもOKという雰囲気だ
ただ、牛肉だけは、本人は食べなかった
牛は自分が殺されるのが分かっていて、涙を流すんだと悲しがっていた
畜産の人に聞くと牛だけではなくて豚も
自分が殺される悲しみは承知して表現するようだという
ーー
そんなおばあちゃんであるが
若い頃赤坂のスナックでアルバイトしたことがあると
晩年になって話していた
本当なのかどうか誰も知らない
そこはいまでいう農水関係の役人のたまり場だったらしくて
ハヤシの佐藤さんというと
当時でいう林野庁の佐藤さんということらしい
おばあちゃんはおばあちゃんで
若い頃は
なかなか思いがけないこともしたらしい