トキの放鳥と少子化対策・子育て支援金

テレビでトキの放鳥が試みられ

期待通りに群れて飛ぶ様子が観察され
子どもができる期待もあるとか流れていた
日本の少子化対策を思が思い出されるが
トキの報道は多分そんな問題意識が背景にあってのことだろう
トキの繁殖を促すみたいに
日本人の繁殖を促して
日本という国を維持して税収の維持を図ろうというこころみであるが
子育て支援金は技術的には許せるが原理的におかしいという意見がある
子育て支援金が技術的に許せるというのは、
誰の判断も入らず一律平等に支給するという点である
役人が考えるとここには役人の許可とか審査が入るはずだ
役所をスリムにするという点では悪くない
しかし考えてみればまた役所の仕事を増やしたことには変わりはない
役所の仕事そのものを減らすのが大事なのに
矛盾しているとの批判はある
原理的におかしいというのは
50年前と現在を比較して
子どもが育てにくい環境にあるならば
その根本問題を解決すべきであって
お金を支給すればいいというものではない
たとえばの話
クラスにいじめっ子がいて
いじめられた子が休んでしまったとする
その場合、いじめられて学校に行けない子のために
家庭教師を派遣するお金を国が出すと言ったとする
また、クラスのよい子に命じて休んでいる子の訪問をさせると言ったとする
誰でも考えるが
それはいじめる子どもを教育する方が正道ではないかとの意見がある
いじめっ子が原因X
いじめられる子が結果Zで
派遣を命じられるよい子はYである
隠蔽された原因Xがあって
少子化が発生しているのであって
それはお金を配れば解決するものではないのは明白である
取り敢えず一息つけるという意見は分かるのだが
よく考えてみれば
どこかで取られすぎているのだと気付かないだろうか
また一段と制度が複雑になるだけなのである
原因Xを解決して結果Zを解消するなら分かるけれど
関係のないYをいじって結果Zをやや改善し、原因Xを残すというのは
分かりにくい話だろう
原因Xはすでに制度を制定する権限を有しているので
結果Zの解消のためにYを動かす
こうしてみれば
原因Xに
人間性が根本的に収奪されていることが明白だろう
原因Xは自分たちの収奪資源である日本人がいなくなる不安を抱えて
対策を打ったわけだ
それはXの未来のためであって
日本の子どもたちのためでは決してないのだ
合理的に考えれば
少子化の原因を訂正すればいいだけなのである
それなのに解決が何とお金を配るとは
というわけでトキの放鳥を思い出すわけだ