「自由は進化する 」ダニエル・C・デネット 神の摂理と人間の自由意志

「自由は進化する 」ダニエル・C・デネット (著)
自由意志を否定する各種主張を自然科学的立場から、丁寧に反論。 
訳者の山形さんの解説
・物理学的なもの(ラプラスの悪魔理論) 
  「世界は原子とか素粒子でできている。それらの動きはすべて物理法則で決まっている。 
  ならば、ぼくが何を感じ、何を考え、何を選ぶかも決まってるんじゃないか」 
・生物学的なもの(利己的遺伝子) 
・疑似生物学的なもの(ミーム説) 
・遺伝・環境要因的なもの(条件付け説) 
・脳科学的なもの(ユーザーイリュージョン説) 
これらに対して、自然科学的根拠に立って、反論。 
ーー
地動説と天動説のようなものだろう
人間の素朴な実感からすれば
天動説であり自由意志肯定説である。
ーー
わたしの立場はまさに
伝統的科学の側にあって
ラプラスの悪魔理論、利己的遺伝子、条件付け説、ユーザーイリュージョン説のすべてに賛成である。
自由意志否定説である。
もちろん、このような本を読んでも、いつものことを言ってますな、くらいである。
ーー
自然科学とは別の次元であるが
キリスト教では「神の摂理」
この言葉を持ち出してしまうと
人間の自由意志は消えてしまう
あるいは一段格下げされてしまう 
人間の意志はすべて神が予定して配慮したものになってしまうのだ
ーー
わたしは昔、神の摂理と人間の自由意志の関係は、難しい問題ですよね
と柔らかく質問した
こたえは、あなたはとても深く考えている、そのまま考え続けてくださいというものだった
結論を提示するのではなく
深く考え続けるあなたの姿勢が正解だと提示されて
次元の違う正解を示された
このような説得と納得の仕方もあるのだと今は思う
ーー
学問的には
わたしは
自由意志は幻想であり
その幻想が破れるのが病気であると考えているので
病気についての安易な価値判断はしない
ただ
この世の中で生きやすいかどうかという観点は実際上のもので
ある程度考慮する必要はある
世の中が間違っていると言ってみたところで明日の仕事と暮らしはどうしようもないからだ
ーー
原爆開発も投下も死傷も
神の摂理ですかという
回答不能な問いかけがある
アウシュビッツや広島・長崎では「神は不在であった」とする
考え方もある。
もちろん、カトリックではない、異端である。
しかしこの点では、異端の思考にも配慮しつつ、考えることが必要だと思う。
ーー
比喩的に言えば
神様は脇見をしていたという説、
神様はこの世界への関心をなくしているという説、
神様は邪悪な存在にその座を一時的に譲っているという説、
いろいろである。
ーー
原爆については、この世界と神と人間について
深く考えるきっかけになる、考え続けてくださいと言われそうだ