日本語は音素が少ないから
耳で聞くと
サンバとタンゴも産婆と丹後と区別がつかないが
そんなことを思わないのは
背景を読んでいるからだ
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日本語とは言っても
地方によってかなり異なり
方言はそれを正確に表記する手段を持とうとしていないだけだと思う
実際には音はかなり精密にそれぞれの意味を表現しているのであって
充分な精密さを持っている
それを
現在の文字にするから
誤解を招く言葉になってしまう
これが中央集権国家である。
スコットランドとかウェールズ、北アイルランドのように
反逆して独自の文学を作るのもいいと思うが
それにしても英語などは「漢字変換キー」を押さなくてもいいなんて
なんてすてきな言語なんだろう
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このブログは背景がよく分からないブログなので
困ることもあると思う
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生徒さんで
お勉強をして
お勉強をして
先生が間違っていると主張する人もいるが
正直言って
お勉強とはそんなものではなくて
日本のお勉強は
半分は真実の探求
半分は、先生は答案用紙に何を書いて欲しいのかを読み取る能力なのである
そのように文脈とか背景とか雰囲気・空気を、読み取る能力が
小さい頃から徹底的にたたき込まれる
だから日本語が読めるようになる
そうでなければたぶん日本語は読めない
意味不明でしかない
途切れ途切れの映像から
感動を見いだせという話でそれはなかなか日本人的である
丁寧に説明すれば
頭が悪いのがばれるので
なるべく省略して
無知無趣味をごまかそうとする
ごまかそうとするだけましだという了解がある
しかし
背景が分かれば
サンバという音が何を意味しているか
間違うことはない
一太郎のATOKだって
文脈を読んで推薦するタンゴを決めているのだ
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いまリオデジャネイロは
ワールドサッカーとオリンピックで大騒ぎで
サンバを踊って暮らしている
一方で
ブエノスアイレスではアルゼンチン・タンゴである
サンバとタンゴはラテンの範疇・カテゴリーに入るのだと思うし
踊るという要素でも似ていなくもないのだが
ずいぶんと違う
サンバ、サルサ、マンボ、そしてボサノバなどとつながるらしい。
ボサノバを聴いているとサンバとはあまりつながらないけれど
音楽としてはそうなるらしい。
タンゴはミロンガとつながり、解説によればハバネラとつながるようだ。
カルメンだ。
踊りを見るけれど
わたしは運動神経が悪いので
全然分からず
また
部分だけを見る癖があるので
余計分からない
タンゴは二人で踊るもので、サンバは大人数で踊るものという先入観がある
タンゴよりサンバが露出度が高いことは分かる
でも、隠した方がいいことも分かっていて
日舞なんかはとってもいいのである
中身がおじいちゃんでも分からない
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サンバ術と音できくと
古い人はソクラテスの産婆術
新しい人は松平健のサンバ術なのだそうだ
そんなわけで
世代が違い、文化が違うと
話が通じない
通じないから話をしなくなり
話をしなくても、銀行振り込みとコンビニがあれば生きていけるから
ますます理解できない
むかしそれをたこつぼ型文化と呼んだ
いまはたこつぼのオーナーを募集しているくらいで
タンゴのイメージもずいぶん違う
皆さんそれぞれの領域に閉じこもりがちになっているので
文化が全体的に閉じこもり傾向なのである
それなのに学校に行く行かないだけで
閉じこもりと名付けるのも承認できない
新しい文化を拒絶しているのが
閉じこもりなのである
学校に行かなければならないと考える
頭の中身が
よほど閉じこもりである
サンバに介助してもらって出産でもすれば生まれ変わるだろう