コンビニと食べ吐き 形式か内容か

コンビニと食べ吐きは

どうも関係あるような気がする
また当たり前の印象だけれど
食べ吐きと
女性雑誌の後半の盛りだくさんのダイエット記事・広告は関係があるような気がする
ーー
わたしがいつも同じ話を聞いているのは
病気が同じだからじゃなくて
病気で空洞になった部分に
同じ内容が入ってしまうからかもしれない
これは昔から
形式と内容といわれている部分だ
形式が破壊されるのが病気であって
内容はそのときの時代背景による
たとえば
妄想でいえば
戦時中は「天皇の子供」
占領時代は「マッカーサーの子供」
ロッキードのあとは「田中角栄の子供」
このように変遷している
これをそれぞれ天皇子孫妄想とか田中角栄子孫妄想とは名付けないのは当然で
血統妄想と名付ける
では食べ吐きは
妄想でいえば
田中角栄子孫妄想のレベルなのか
血統妄想のレベルなのか
統合失調症のレベルなのか
どの階層の話なのか
ということが問題である
そのうち雑誌の後半に違う記事が載るようになれば
食べ吐きはなくなってしまうかもしれないとも思う
それは単に内容であって
形式の指定ではないと考える
いままではそのようにすっきり考えていたのだが
そしていまでも理論としてはそう考えるのだが
このごろは何となくそうではないのではないかとも考えている
特有の形式があるのではないかと考え
その可能性を考えている