最近はわたしは女性には全く興味がないが
赤ん坊にはとても興味があるので
8丁目のお姉さんの赤ん坊を見せてもらった
つるつるの膚をしていてなんてかわいいんだろう
髪の毛も細くて弱くてしなしなしていてとてもきれいだ
栗毛色だ
ときどき「バス」とか叫ぶのだけれどそれが無限に無邪気で涙が出そうだ
うんちをしても臭くない
鉄道の本を見ていてちょっとため息をついたりしているのでうんちらしいと分かる
最近の子どもは長いと4歳くらいまで紙おむつをしているようだ
喉が渇くと
ゼリー型のアイソトニック飲料をごくごく飲んでいる
一気のみでその懸命さがまた素晴らしい
遊ぶ道具がないとその辺の小さなものを放り投げたりして遊び始める
アロマオイルの瓶が気に入ったらしくて
いじっているうちに
瓶の蓋がゆるんできて
そこらでよい香りがし始めた
赤ん坊はなんていいことをしてくれるんだろう
大人はなんてバカなんだろう
アロマオイルは瓶に入れて置いてもなんにもならないじゃないか
オイルをばらまいてくれるなんて天使だ
この子はずっと裸足で育ているそうだ
わたしも小さい頃そうだったと思い出した
素足を触っているとすべすべして気持ちがいい
毛は生えていない
足には小さい小さい指があり
その先には小さい小さい足の指の爪が生えている
もう悶絶だ
そして
わたしを見て笑うのである
ママの大事なお客さんと知っているらしい
愛想よく笑うのだ
赤ちゃんキャバレーがあったら
わたしはこの子のためにアイソトニック飲料とかお菓子とかキープしてしまいそうだ
車で連れて歩くと
外を見て、電車に喜んだり、バスに興奮したりしている。
それならばと、電車やバスに実際に乗せてみたが、さほど興奮はしない。
むしろ、すれ違う電車やバスに興奮していた。
これは自己認知がまだ成長していないせいだ。
成長していれば、自分がバスに乗っていること自体に興奮するはずだ
たとえば鏡を見せるととても喜んであれこれやっているが、
それを自分だと思っている様子はまだない。
自分とほとんど同じタイミングで動く子ども、という程度は認識しているかもしれない。
精神分析学で鏡像関係という話がある
幼いうちは鏡の中に映っている子どもを誰とも認識できないでいる
あるときから自分の運動と、鏡の中の子どもの運動の関係が密接すぎることを知るようになる
そこで、こちら側の自分と、
鏡のあちら側の自分は
実は同一のものであると発見する
この瞬間に自意識が発生する
自分を見ている自分が発生するのである
一生の間、鏡を見ることなく、
自意識の発生も体験しない人間がいるとして、
それは猫のように生きているのである。
だから、今日、赤ん坊が鏡を見て、少しずつショックを蓄えつつあるのは、
人間になる大切なステップなのだ。
それにしても、鏡の向こうの自分と、こちらの自分が同一だなんて、
自己同一性の偉大な認識である。
鏡がどんなものであるかなんて知りもしないのに、
自分というものが、こちらとあちらにいるなんて
どうして納得できるのだろうか。
なんていうことを思うわけだけれど、
赤ん坊は、おじちゃんが、どうしてそんな変なことを考えているか分からないはずで、
ただ、自分がかわいいから、何をしても、このおじちゃんはわたしのもんだ、くらいに思っているのだろう。
うんちについても、昔は、
うんちをするということで、母親を否応なしに、待ったなしに、支配して動かすことができた。
命令することができた。うんちは命令なのである。絶大な権力。
しかしその権力を一時的にしまい込んで、自分でトイレをするようになり、「いい子」になるのだ。
よっぽどいじけたときには「うんち攻撃・支配」を復活させることがあるけれど、
たいていは、「恥ずかしいことをした」という結論になる。
我慢するという態度は強迫性につながる
母親を支配するという態度はサディズムにつながる
そのように、結構重大な局面なのだけれど、最近はあっさり、使いやすい紙おむつで、長ければ4歳と聞いて
驚いた
それでは精神性的発達はどうなってしまうのか
多分どこかで辻褄が合っているのだろう
あるいは昔の説が間違っていたのだろう
フロイトやアンナ、ウィニコット、それ以後の子どもの観察から出発する精神医学も
反証が積み重なりつつあるのかもしれない
それはそれで学問として活発になるということだろう
悪いことではない
昔通りの無謬性を主張している方がバチカンと同じで始末が悪い
ーー
子どもの顔を見ていると
あごが発達していないで
相対的に目が大きく
鼻が小さく口が小さい
これはもう文句なしにかわいいのであって
しかもその細部が自分と似いてるなんていったら
もう世界最強最終兵器ではないか
小さな爪で
緩やかなウェーブの髪で
臭くないんだ
匂いがいいんだ
これが奇跡だ
ーー
もう一つの発見は8丁目で
まだ26歳かという程度の幼い娘が
結構お母さんをしていることだ
最近はインフルの関係で
熱が出ると呼び出されるらしい
お店では大学の出席の関係とかなんとか言っているようだ
ーー
わたしにも小さいときがあった
幼稚園に行っていた
幼稚園の昼休みはテレビの昼メロの時間だった
あいぜんかつら だったと覚えている
愛染かつら
未亡人の看護婦と医師との恋愛を描いたもの。
38年映画化され、主題歌「旅の夜風」とともに戦時下に大ヒットした。
38年映画化され、主題歌「旅の夜風」とともに戦時下に大ヒットした。
そのテレビ化が流されていた
わけだ。
わけだ。
わたしは一方で「カモメの水兵さん」を踊って見せて、
一方で、「旅の夜風」を理解し、医師と看護婦の関係を理解していた。
なぜ職員がテレビを見て泣くのかと言えば、完全に看護婦に同一化しているからだと観察していた。
幼稚園の頃は恋愛のプレーヤーではなかったから
傍観者に徹していられた。
女性はみんなここまで身を捧げて悔いのない男性を待っているのだと理解できた
ーー
幼稚園の頃から
精神科的だったような気がする