解説によれば、万葉集においては、
恋人に会えない淋しさを慰める為に、いろいろなことをしている。
どんなこと?
例えば野山を遊び歩いたり、
花を植えたり、
恋人ゆかりの地へ行ってみたり。
しかしなぐさめる為にする行為は結局はなぐさめにならない。
恋人に会うこと以外に淋しさは解消されないのである。
なんて解説にある。
まさか。そうかな?10代ならば、そうかな。
これじゃ高校の教科書だな。
わたしなら、異性に逢うこと以外にたくさん淋しさ解消がある。
異性はむしろ煩わしい。愚かで幼くて貪欲である。
わたしの美しさにしか興味がない(!)。
万葉の時代はあまり楽しみがなかっただろうし、
時代を経て残るのは、
こうした感情なのだろうけれど、
また、説明しやすいし、高校生や大学生向けに説明しておけば、
マーケットで価値が出るのだろうけれど、
いつまでも高校生の性欲やどきどきが続くものでもない。
・・・わが恋ふる 一重の一重も 慰もる 情もありやと 吾妹子が
止まず出で見し 軽の市に・・・ 人麻呂 2-207
・・・ここ思へば 胸こそ痛き そこ故に 情和ぐやと 高円の
野にも山にも うち行きて 遊び歩けど 家持 8-1629
・・・酒宴 遊び慰ぐれど 射水川 雪消溢りて 逝く水の
いやましにのみ・・ 家持 18-4116
・・・見るごとに 心和ぎむと 繁山の 谿辺に生ふる 山吹を・・・家持 19-4185
恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島陰に廬するかも 15-3620