Silent Night – Enya ( Christmas Tree Rio de janeiro )

http://www.youtube.com/watch?v=JkHprPEBNTE&NR=1

私の家庭は
キリスト教はもちろん
どんな高度な宗教とも無縁な家庭だった
どんな数学的思考とも抽象的思考とも無縁だったと言ってもいいのだと思う
それでも
子どもは普通に育った
祖母は幸せそうだった
優しい心はこの世界では傷つけられ損な役回りを押しつけられる
祖母はそれでいいのだと言う
自分は最後でいいと言う
そのあたりも宗教の根源のひとつかもしれない
ーー
ある人が
「母親とは、例え息子に殺されても、
許すような気がします。」
と言う

ドーキンス以来の遺伝子の生存確率で数式化できそうな気もするが
そうした次元の話ではないようだ。

愛情というものの根源に触れていると思う

そのような感情に動かされる人間と
そうでない人間がいるのだろう

そのように種類の違った人間が混在し共存していることが不思議である
一方は損をするわけだが
それで根絶やしにはならない
なぜなのか

そこに人間の希望があると思う

ーー
また別の母親は、
「イライラしていると、息子を思いっきり放り投げたくなる」
とも言っていた
それも真実の言葉なのだろう

そして実際にそうしないのは
なぜなのかと考えると
やはり部分的に、長期的に、命を子どもに与えていると考えることができる

ーー
そのようにして子どもは育つのだし
私もそのようにして育ってきた

これは奇跡の様な出来事だ

人間の赤ん坊は最初のうちはいかにも無防備すぎるのだ
無防備でいて、あるいは無防備だから、無限の愛を集めているのだ

そのようなパラドックスが成立する
不思議さを思う

ーー
無防備で生きることはいかにも危ない
悪い人の餌食になる

しかしそのような無防備な人がいなければ
人間の社会に愛などは存在しないのではないか

契約によって結ばれたイコールパートナーが
愛の社会を作っているのではない

全く無防備な、ノーガードの人間がいて、
愛の社会を築いているのである