カンボジアの歴史 というWikipediaの項目を見ていたら
1976年1月に「カンボジア民主国憲法」を公布、国名を民主カンプチア(Democratic Kampuchea)に改称した。
内戦による農業インフラの破壊、食糧輸入援助の停止といった混乱状態の中、クメール・ルージュは、貨幣制度廃止、都市住民の農村入植と強制労働といった極端な原始共産制社会への回帰政策を実行した。旧政権関係者、都市の富裕層や知識層、留学生、クメール・ルージュ内の親ベトナム派などは虐殺された。反乱の疑いのあるものは政治犯収容所S21(現トゥールスレン虐殺博物館)などに収容され虐殺された。1975年~1979年のポル・ポト時代の4年間は、中国の毛沢東主義を奉じた極端な農本主義政策が採られたものの、非効率的なやり方は大旱魃をもたらし、出生率が異常に低下する一方、飢餓と虐殺で100万人を超えるともいわれる大量の死者を出した。
と出ていて
原始共産制社会を目指して貨幣制度を廃止したとある。
最近日本ではいろいろなポイントがあって貨幣の代わりになっている部分がある。
マイルを何かと交換したりとか、賢い交換の方法が議論されれていたりするらしい。
法学部系と経済学部系では考えも違うのかと思うが
日本の経済の運営は法学部の卒業生が決めているようで不思議なことだ。