空気が読めないことに関して
マスコミであれこれいわれた時期があるが
個人的には私はまったく空気が読めない
絶望的に読めないのですっかり諦めて
独自の道を行くことに決めている
むしろ空気に反する気質と言っていいくらいのものだ
それが私を冷たい批評家にする
私の場合は集団行動や対人行動は臨機応変ができなくて
ただ硬直した対応ができるだけだ
厳密に検討すること
何でも反対というのは一種同調性が高いことの結果でもある
空気は読めているわけだから
ここで反対する場面だと読めていてその役割をきちんと演じているようだ
私は一緒に泣いたり叫んだりはとてもできない
そのことはたとえばいま読みかけの小説でも感じた
ドイツのベルリンの壁崩壊の時の話だ
あたりが騒然としているときに
主人公たちはわざわざ事件の中心部に向かって進む
私はそのような状況では決してそのような行動を取らず
むしろ家に閉じこもりテレビでも眺めている方だから
そのように熱に浮かされるように祭りの中心部に向かう人々の健やかな気持ちがうらやましい
とても健やかだと思う
同調性 Symtone 成分といっていいのだと思う
病気でいえば躁病になる
また一方ではてんかんの人たちも祭りのさなかに出て行って爆発しているようでもある
祭りは躁病とてんかんの合成になっていて
陽気な成分と爆発の成分が同居している
世俗成分と脱俗成分の合成の面もある
彼らは人間の体臭に同調するのだ