サイコーシス

サイコーシスとかサイコーティックという言葉を

精神病とか精神病的の意味で使うのだが
精神病とは何を指しているのかという問題がある
これはドイツ医学の流儀なのだが
精神的な不調をノイローゼとサイコーシス(プシコーゼ)に大きく分ける
どうも考え方とか感じ方とかの問題のようなのだけれど
「状況からいってまあ無理もないだろう」「感情移入できる」「了解できる」
というものがノイローゼである。日本語で神経症。
「諸事情を説明されても、やはり、納得はできない」「共感できない」「了解できない」
というものが精神病で、
精神病理学の知識があれば、「説明」はできるけれど、「了解」はできないと言うものだ。
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ノイローゼのあとのデプレッションというような議論はない
サイコーシスのあとのデプレッションの議論は昔からある
あるいはサイコーシスの前のデプレッションの観察も昔からある。
ノイローゼのあとにデプレッションになったとすれば、ノイローゼがデプレッションを引き起こしたのではなくて、
デプレッションが元々の病気で、ノイローゼはその前駆症状であったと考えられるだろう。
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了解できるかどうかといっても、
なかなか微妙なところがあるので、
最近では少し言い換えて、
「現実認識の程度」を問題にして、
「現実認識にゆがみがあるもの」を「精神病レベル」と定義し、
「現実認識にはゆがみがないもの」を「神経症レベル」と定義することがある。
実際には癌はないのに、私は癌で死んでしまうと悲しんでいれば、精神病である。
実際に癌になっていて、余命6ヶ月で、悲しみに暮れているなら、それは了解可能であって、現実認識にゆがみはなく、神経症レベルである。
現実は現実で、悲しんでも命が延びるわけではない、悲しむのになんの意味があるかという話もあるだろうが、
それはひとまず置いて置いて、一般に、そのような場合に、人はどの程度悲しむだろうかという話である。
だいたい人々が悲しむのと同じ程度悲しんでいるのであれば、
それは正常の悲しみである。
しかし、そこでやや過剰なものがあったり、
質的に異なるものが混入しているとすれば、
その向きによっては精神病的であり、
また向きによっては神経症的である。
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神経症という概念は
フロイトの精神分析と結びついていて
抑圧だとかの心理メカニズムに関係していることが多く
神経症の診断をすると原因についても言及していることになってしまうことがあり
DSMシステムには適合しなかった。
そこで神経症を解体して、不安性障害とか強迫性障害などと分解して、
あくまで現在観察される症状によって分類しようとした。
その中で急性ストレス反応とPTDSは
直接原因を指定した言葉であって、どのような症状が見られているかについては
限定していない。
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と言うようなわけで、ポスト・サイコーティック・デプレッションという場合、
「現実認識がずれてしまい」「了解不可能な」精神状態の後に現れるうつ状態のことを指す。