おとうさん、眠れないの?
2週間以上不眠が続くようならうつかもしれませんよと
駅のポスターに貼ってある
いい面もあり
悪い面もある
いい面はもちろん
うつの早期発見で
ひいては自殺の予防である
新橋の駅にたくさん貼ってあるのは
新橋のサラリーマンの自殺を防止したいからだろう
悪い面はうつの本質が分からなくなることである
本質を議論している間に
自殺者は増え続け、または減少しないで来たわけだから
本質の議論の場合ではない
ーー
しかし
物事が分かるということは
どういう事なんだろうとも思う
自転車に乗れる人が
自転車の乗り方他人にうまく説明できるとも思えない
数学の問題の解き方についても
最初の発想がどうなのか
うまく他人に説明できるわけではない
精神医学の診断も
文章やチェックリストで100%できるわけでもないような気がする
自転車に乗ることや数学の問題を解くときのひらめきのようなもので
何とも説明しにくい部分があるらしい
そのようにいっていては仕方がないのだけれど
それはなんだろうかと思う
糖尿病ではそんなことはないだろう
コンピュータでも診断できるはずだ
精神と精神が向き合っている場合は
やはりコンピュータが精神を診断するのとは違う事態なのだ
コンピュータにはない何かが作動しているのだと思うが
うまく言えない
言えてしまえば何ということもないものかもしれない
あるいは本質的に言えないようなものかもしれない
自転車に乗ること
数学の問題を解くこと
精神医学の診断をすること
そういえば
診察時間を長くかければ
多くのことが分かるかといえばそんなこともない
数学の問題を早く解くのが素晴らしいのであって
わざわざ時間をかけて解くことを褒められることはないだろう
なぜか精神科の面接では時間をかければ偉いような雰囲気がある
とても大きな間違いだと思う
数学の正解を5分で出した人と
1時間で出した人と
比較してどうなんだろう?
1時間かかった人は単に頭が悪いと
普通は言うと思う
ーー
うつ病の本質は分かっていない
それに尽きる
また、統合失調症の本質も分かっていない
それなのに
統合失調症の場合の抑うつについて論じるのである
何という無理だろう
しかし現実に統合失調症らしき人の自殺率はとても高いので
論じる必要はあるのだけれど
どうしたらいいものか