強迫性性格に限らないが
人間は一般に防衛ラインをどんどん前進させる傾向がある
防衛ラインという言い方はなじむかどうか分からないが
たとえば日本とロシアの境界線が不安定になるとすると
まず日本としては東京は守りたいので長野か新潟あたりに守備ラインを敷いて
そこを死守しろと命令を出す
だいたい大丈夫そうならばそれでいいはずなのに
強迫性性格者はじっとしていられずに
防衛ラインを秋田・青森まで前進させる。
もっと安全というわけだ。
その次は北海道全体を防衛ラインにして
次は樺太を防衛ラインにする。
何もそこまでしなくてもと思うし
実際には無駄だろうと思うが
安心のためにはそこまでしないと気が済まない
たとえば新刊書のブックカバー
本当の表紙を守りたいからブックカバーがたいていついている
しかし慎重な人はブックカバーが汚れたらどうしようと考えて
書店からもらったブックカバーを重ねる
それって過剰防衛だろうと思うがみんな普通にやっている
本当は何を守りたいのかを
一時的に忘れて
「現在」を確実なものにするためにさらに守りを固めようとする
会社に行く行かないを話しあいたくないから
クリニックに行く行けないにすり替える
ーー
こうした傾向は
シンボルの使用と関係がある
東京を守るということが
関東を守る,本州を守る,北海道を守る,北方領土をまもる、と次々に置き換えられる。
これはシンボルの変換だろうと思う。
実体とシンボルが乖離するので
どんどん防衛ラインは前進する
ーー
実体を把握していれば
たとえば北海道を占領されたとしても,まだまだと安心していればいいのに,
とても動揺するのが強迫性性格者である
過剰にシンボル化している
同時にとても人間らしい
ーー
シンボルが最も活躍するのが
セックスと権力である
ブランド物はシンボルそのものでありとても人間らしいものだ
年をとればセックスに秘密も何もないが
若いうちはセックスは秘密に満ちたものだ
その場合にシンボルとかブランドが心を支配する
権力というものも実体はつかみ難いので
やはりシンボルが実体に取って代わる
「猫まっしぐら」のブランドを信用するのは人間だけで
猫は実際の味だけが問題だろう
銀座ブランドの食べ物も
実際には肉のハナマサで仕入れたものを
新人研修料理人が出しているだけで
看板で商売しているようなものだ
その看板をつくるのがまた大変なのだけれど
ーー
記号で置き換えて
自分で置き換えたことを忘れて
記号と実体を混同する
これが人間の果てしない営みである
だからバカバカしいわけではなくて
たとえば数学はシンボルの使用の偉大な勝利であって
やはりシンボルは大成功していると言わざるを得ない
ーー
貯金通帳の数字も,現金も,よく考えればシンボルでしかない
強迫性性格者がケチで貪欲で好色であることはよく知られたところである
彼らはシンボルを好むのだ
そしてそれは人類の共通の基本性格でもある
たぶん北国の人のほうがその傾向が強いのではないだろうか
日照量と関係がありそうである