債権本位の民法の問題点

日本の法律が抱える問題はあまたあるが、債権本位主義の問題は根本的で根が深い病だ。
これを早急に抜本改正し、正常化する必要がある。

この問題については、牧瀬義博氏という法学者が昔から研究している。
次に牧瀬氏の著書「マネーと日本の進路」から抜粋しておく。

”最近の研究によると、民法に大きな誤りのあることが分かった。その誤りというのは、民法はもともと債務本位に決めなければならないのに、債権本位に決められているということである。債権と債務が逆である。
民法典は、1898年施行されて以来、今日まで一度もこの根本問題に疑問が投げかけられたことはなかった。

民法は人が生活に必要な衣食住を入手するための法律である。したがって、民法はその中に衣食住を入手するために必要な法律制度を定めていなければならない。そして、日本民法は債権によって衣食住を入手すると定め、米国民法は、債務によって衣食住を入手すると定めている。

それでは、米国以外の民法はどうなっているのであろうか。
まず、近代民法の起源であるローマ法は債務が中心である。イタリア民法、フランス民法、ベルギー民法も、英国も同じく債務法である。・・日本民法 の母法であるといわれているドイツ民法も不思議なことに債務関係法で、どこにも債権法はない。日本だけである。

日本民法は債権本位のため、口約束だけで土地の売買ができ、契約書を作ることも代金を支払うことも登記名義を変更することも必要ない。おそらく世界で一番簡単な民法の規定である。
債務本位の民法では、価格が正当であるか否かを研究することができるが、債権本位の日本民法の場合、価格の研究をする根拠が存在せず、価格の研究は不可能である。

民法は、故意か偶然か分からないが、債権本位の民法になっていた。そして、民法は企業と銀行のため、最大限に有利に解釈されてきた。
このようにして、十分な検討を経ず、誤解からできあがった民法には当然のことながら多くの矛盾が生じている。

民法は、債権と債務のカオス民法となってしまった。
そこには混乱と不統一があるだけで、正しい理論は存在しない。ケースバイケースで解決されているにすぎない。正義と衡平を目的とする民法がカオスに満ち、そこには正義も衡平もない。法律の世界で、しかも民法の中で、このようなことがあっていいのだろうか。

民法が生活するために必要な物資を入手するための法律と考えると、債務の理論が正しい。したがって民法を改正し債務本位としなければならない。
そうなると、正義と衡平が実現され、地上げも、天引きも、両建て預金も、債権と債権の相殺も、代物弁済の予約もできなくなる。”

この本の出版年度は1993年だから、すでに結構前だが、その後も民法は債権本位のままである。民法は早急に根本的な誤りを直し、抜本的な改正がなされなければならない。
民法のような最も基本的な法律の論理が矛盾に満ちたカオスとなっていて、日本の法律をまじめに勉強する人間は、頭の中をウニにしながら何とか理解しようと格闘することになるわけだが、そのうちほんとに気が狂ってしまうのである。
しかし法律家の頭の中がカオスになるだけならまだしも、世の中をカオスに陥れているのが当の民法だというのが許し難い。
実際に日本の大銀行をはじめとする金融機関は、この債権本位の民法によって、諸外国であればとうてい認められないような犯罪的な手口で融資を行い、庶民の財産を合法的に略奪してきたのだ。
こういった明治の頃の大誤訳が元で、100年以上も一切改正されることなく、異常な日本の民法体系ができあがってしまった。

”古代社会では債務不履行に対するペナルティーは過酷なものであった。
古代ローマでは、ごく少額を返済しそこねるだけで、債務者は全財産を没収され、競売にかけれられかねなかった。極端な場合、債務者は借金を払い終えるまで牢屋に入れられた。
西欧では一九世紀まで見られた債務者監獄の制度だ。
つまり債務不履行のペナルティーは単なる法的な解決策ではなく、まさしく懲罰と呼ぶにふさわしいものだった。

だが、債務不履行の罰が奴隷身分への転落だった古代ギリシャに比べれば、それでも大幅な改善だったのである。
イギリスで債務者監獄が廃止され有限責任会社の制度が発明されるのは、ローマが滅亡してから1500年ほど先のことだが、それによって資本市場のありようが改良され、世界経済の爆発的成長に点火する一助となったのである。”

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以上は、「豊かさの誕生」からの抜粋だが、このように債務不履行を窃盗と同じと見なし、債権者側に圧倒的な権利を与えることを債権本位主義という。
これが近代になると非人道的なものとして否定され債務者監獄が廃止され、債務本位主義に転換していったわけだ。
これはきわめて大きな制度上、法律上の進歩だ。欧米先進国ではどこでもこの債務本位主義の法体系になっている。

だが、驚くべきことに日本は未だに古代ローマと同じ債権本位を民法上とっているのである。
日本の過酷な取り立てはなにもサラ金に限ったことではなく、この民法上の債権本位の原則からきているのだ。それによって債務奴隷を古代ローマと同様に生み出してきた。
今回のサブプライム問題でも家のローンを返せなくなった場合、あちらの人間は家をあけ渡すだけで済んでいるが、日本だとそれだけでは済まない。

だから、サラ金問題の本質は、金利そのものにあるのではなく、古代ローマ並みの野蛮な債権本位主義をとる日本の民法体系にあるといえる。
サラ金などの過酷な取り立てに対する対策としては、金利を規制するのではなく、民法を債務本位主義に抜本改正することが本筋なのだ。
また債務本位にすると同時に、連帯保証人制度などの無限責任を負わせる制度も廃止すべきだ。

”ベニスの商人”の話も日本では、本当はシャイロックが正しいなどと馬鹿な解説がされることがよくあるが、この話は時代遅れで野蛮な債権本位主義を批判しているものなのである。