うつの判定とフィギュアスケートの判定

あい変わらず

他科のお医者さんから

うつの正確な学問的定義は何ですかと聞かれたりする
それをいま探究中なので暫定的なことしか言えないわけだけれど
事態を混乱させているのはDSMだともうここ20年言われ続けている
20年前から現在まで結論は変わらないのだが
うつの診断学について言えば
後退したのだと思う
進化ではなく退化した
レベルの低い人たちにみんなで合わせた
それが実際のところだと思う
言えば角が立つし
それで食べている人もいるのであまり言わないようにしているだけだ
ーー
他科のお医者さんにすれば
うつ状態とうつ病の区別も気になるのではないか
無理もないと思う
昔の説明は
うつ状態は反応としておこるうつであって了解可能なものである
うつ病はそれ自体として出現する病理であって了解不可能なものである
その間には明らかに段差がある
それは精神の構造変化である
いいたとえかどうか分からないが
太っている人がいたとして
生まれたときからずっと太っていて一度もやせたことがない人ならば
たぶん肥満体質と言っていいのだろう
人生の大半を普通体型で過ごしてきた人が
何かをきっかけとして食習慣や運動習慣に変化が起こり
どんどん太ってきたというケースならば
それは一時的な肥満状態である
一時的な肥満状態は誰にでも起こるし
元に戻ることも多い
正常・健常と地続きのものがうつ状態であって
それは失恋とか就職試験失敗とか
そんな場合の喪失感の延長と理解して間違いはないだろうと言われている
そこに精神の構造変化はない
うつ病はそういう、健常からの連続的な変な可ではなく、不連続な突然の構造変化である
だからうつ病は昔は精神病のひとつとされてきたのだ
ーーー
DSMを決めた人たちは「そんな変な話は分からん」「分かるのはドイツ人と日本人だけなんておかしい」
と言い張って
うつ状態ならばみんなうつ病だと決めてしまった。
これで40年は逆戻りした。
他に身体病があったり、統合失調症があったり、物質使用があった場合には、除外すればいい。
残ったものはうつ病だ、というわけだった。一応統合失調症優先は認めているので
分かっている人には実際上は困難はなく
しかし新しく学ぶ人はうつについての鑑別ができなくなってそのままだ
うつと見えるものの中の神経症成分の話とか
いろいろと話題はあるのだけれど
それも切り捨て
2週間の持続で8種類の症状のうち5つ、うち二つは必須。
なんだそれ。フィギュアスケートの採点でもあるまいし。
項目を並べて、どの要素が何点、合計で何点、だからうつ病とか、だからフィギュアスケートがうまいとか
意味が分からない
診断基準が変わればうつになったりうつでなくなったり
そんなのも話が違うだろう
ーー
測定できないものを測定している
ふさわしくない物差しで測定している
そんな感じです
ーー
みんながそれでいいのなら
それでいいわけで
特に意義を申し立てるものでもないわけだけれど
というような状況がかれこれ20年も続いている
うつ病が増えたとか
最近は子どものうつ病が増えているとか
新型うつ病とか
つまりは鑑別能力が低下して
しかしそれが多数派になったので
うつ病が増えたという結論なのだろう
そしてさらにそこからうつの時代とか
グローバリゼーションとうつとか
自己愛とうつとか
ディスチミアとうつとか
いろいろと言われるのだ
たとえば
昔は山の手とは言わなかった地域を新山の手とか言っているうちに
山の手があちこちに増えてしまって
では一体、山の手とは何かとかの話になって
皇居に散歩できないような山の手もなんとか山の手にしておく必要も住友不動産にはありで
土地が高ければ山の手だろうとか
憧れが山の手の本質だとか
そんな変な話になったりする