奇妙な敗北 マルク・ブロック 離人感

奇妙な敗北 マルク・ブロック

 廃墟となったダンケルクの街については,鮮明な記憶が残っている.外観はうつろで,そこにぼんやりと噴煙がただよい,通りに散乱しているのは,死骸というよりは人間の体の断片であった.耳にはまだ信じられないような大音響が残っている.フランドルの海岸における私たちの最後の時間は,グランド・オペラのフィナーレのように,爆弾の炸裂,砲弾の炸裂,かたかたという機関銃の響き,高射砲の音,などのさまざまな音響で満ちていった.この交響曲にもっとよく拍子をつけるかのように,沿岸マキシム砲の執拗なリズムが響く.しかし,この31日の光景を記してきたが,私の記憶に最も強く残っているのは,これらの恐怖や危険ではないことを言っておこう.何よりも私が思い出すのは,突堤から出発したときのことである.えもいわれぬ夏の夜が,海に魅惑を振りまいていた.金色に光る空,鏡のように静かな水.炎を上げる精錬所から立ち上がる黒褐色の煙は,低い海岸線の上にアラベスク文様を描いており,そのあまりの美しさに何が燃えているのか,その悲劇的な原因を忘れてしまうほどだった.(第1章より)

 1940年,ドイツ軍の電撃戦の前に,ダンケルクへと潰走する英仏連合軍.フランス軍参謀将校として従軍していたブロックは,そのただなかで苦闘しながら,自問していた――なぜフランスは敗れたのか,と.

 ひとりの市民として〈暗い時代〉を真摯に生き,レジスタンス活動のなかでナチスの銃弾に斃れた,この卓越した歴史家による手記は,今なおさま ざまな問題を私たちに投げかける.ブロックの最期を生々しく伝えるG・アルトマンの序文,および政治学者S・ホフマンの新版序文を付す.待望の新訳.

マルク・ブロック(Marc Bloch,1886-1944)
20世紀を代表する歴史家.1929年,リュシアン・フェーヴルと共同で『アナール』誌を創刊.『封建社会』『王の奇跡』『フランス農村史の基本性格』『歴史のための弁明』などを著し,現代歴史学の形成に大きく寄与した.1944年3月,レジスタンス活動中にゲシュタポに逮捕され,同年6月16日,銃殺.

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「そのあまりの美しさに何が燃えているのか,その悲劇的な原因を忘れてしまうほどだった」
と書き記す。
そのような不思議な瞬間がたしかにある。
一種の離人症なのだろう。