強迫症患者は同時に離人症者である。

強迫症患者は同時に離人症者である。(Meyer)
そうかもしれない。

軽うつ病者の存在自体が、強迫的である。強迫的だからいつまでも疲れの原因になる。
という有力な意見もある。

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しかし症状の目印についても難しい面がある。

Hemmung 抑制 ……億劫だ、気力がわかない、面倒くさい、やる気が起きない

Schwermut 抑うつ気分……気分が重い、うっとうしい、虚無的になる、

Angst 不安……何となく不安だ、……恐怖は不安の対象が明確。不安は漠然とした不安。上司が怖いというのは恐怖であって、不安ではないけれど、しかし日常語としては不安という言葉も使う。恐怖の程度の弱いものという感じ。日常語は言葉を定義して使っているわけではないから仕方がないと思う。特に最近の若い人たちは不安とも恐怖ともいわず、ざわざわするなどという。

考えがまとまらない、頭が働かない、考えることができない、物覚えが悪い、記憶力がなくなった、思考の渋滞、記憶力低下

かなり昔の文章でこのようにうつ病の諸症状を分類している。

現在よく使われているのは
憂うつ(Traurigkeit)、興味減退、意欲減退、不安、いらいらというあたりが代表的である。

離人感はそれ自体で特徴的なひとまとまりのものだと思うが、
しかし考えてみると憂鬱なときも、眠いときも、元気が出ないときも、世界は少しだけ離人的に感じられるようでもある。

これらの要素が別々のもののようでもあるし、
お互いに関係し合っているようでもあるし、
この奥に何かあるようでもあるし、よく分からない。

素粒子論のようなもので、これらの要素が独立したものなのか、
それともドーパミンとかセロトニンが脳のどこかの局所的な系で作動した結果得られているもので、それらに還元して記述することで充分うまく行くものなのか。