採録
日銀のような中央銀行は“無”からおカネを生み出し、国民はそれに対して利息を支払う義務を負うしくみなっている。
(日本の場合)政府は造幣局で刷ったお札を原価(25円程度)で日銀に売る。日銀はそれを額面通りの金額(1万円なら1万円分)で日本政府に買ってもらう。さらに額面の金額の何パーセントかの利子を受け取る。
世界中のほとんどの国の中央銀行の大株主は、欧米、特に欧州の超巨大金融財閥だ。
世界中から莫大なお金が、彼らのところに自動的に流れ込んでいくという仕組みが、金融システムの第一の目的と言える。
市中銀行(我々が預金している銀行)も、ほとんど”無”に近いものからお金を我々や企業に貸し付けている。日銀に預ける担保となる金額の数百倍から千倍もの額を、市中銀行は貸し付けることができる。
常識から言えば、これは詐欺行為に近い。自分が持ってないものを貸して利益を受け取り、返せない場合は、預金通帳に記載された数字の替わりに(銀行ローンの場合は、現金の授受すら発生しない)、現実に価値のあるもの…家や土地などの財産を没収するのだから。
利子というのが、これまた曲者で、中央銀行からの借金というカタチで市中(世の中)にお金が出回っているのだが、返済するときには、必ず利子が付く。ということは、出回っているお金の価値(額面)以上のものを返済する必要があるわけだが、市中にそんな金はない。供給元が中央銀行だからだ。
利子を返すために、さらにお金を借りる必要がある。このサイクルが延々と繰り返されるというわけだ。利子分を稼ぎだせた企業なり個人は問題ないかも知れないが、市中には利子分のお金が出回ってない。だから、必ず足りなくなるわけで、資本主義金融システムの下では、必ず借金を完済できない「敗者」が出てくる。
利子を払うためには、常に借金をしなければならず、それを返すためには、継続的に経済成長しなければならない。
これが(資本主義)金融システムの本質である。