湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 


久保田万太郎は昭和38年73歳で没した。
晩年、子供を亡くし、それを機に家を出て赤坂に隠れ住んだ。起居のかたわらに一人の女性がいたが、彼女は37年末に急死した。万太郎は深い孤独に陥り、自らも半年後に急逝した。
この句は相手の女性の死後詠んだ句のひとつ。


いのちのはて という言葉は 強すぎるが 背景を知れば 納得できる

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春の夜のすこしもつれし話かな

春の夜にすこしもつれるのは黒髪に決まっているのだが
それを話がもつれると広げている
そこで王朝文化から現実に還る

久保田万太郎のばあい、話のもつれは少しではないだろう