発達障害と図形認識

発達障害と一言で言ってもそれで何か分かるわけではなくて

1.どの部分で発達の障害があるのか
2.それは将来、徐々にでも発達しそうなのか
などでかなり異なる
50年くらい前までは知能だけが問題で
知能の内訳としていくつかの下位項目があった
最近は対人関係能力とかが測定されるようになってきていて
それも障害のひとつだと言われている
子供の精神障害には大変様々なバリエーションがあって
個々の専門家やグループによって用語も大幅に違うし
とらえ方も違う
脳器質性の見立てと環境反応の見立て、療育要素の比重の違いなど
かなり大きく違う
大人の精神医学を子供に当てはめてうまくいく世界ではない
大人の基準を当てはめて統計を取る場合ももちろんあるし
意味のある研究である
しかし発達途中の人間についてであるから
大人とは別の観点が必要である
つまり、変化するだろう、変化の余力は大きいだろうとまず考える
また、環境に依存して変化する部分が大きいだろうと考える
トレーニングでずいぶん変わることは実証済みなのでなるべくなら適切なトレーニングをしたい
親との関係は特に重要で親が変われば子供が変わることが多い
精神機能の各部分は未分化で測定は容易ではない
ーー
このような変化は科学の進歩という面もあるが
人間社会の変化も関係している
多くの人が会社に所属して
情報をやり取りしながら仕事をする環境では
当然のことながらコミュニケーション障害が問題になる
労働生産性に直接関係するからだ
情報化社会で情報のやり取りに不具合があれば
当然のこととして障害といわれ、治療できないかという話になる
しかしそれは本来の医学モデルとしての「病気」とはいえないようなものだ
100メートルを走って28秒かかったとして
別段病気というわけではないだろう
しかし社会の要求との関係で訂正できるものならして欲しいという場合は
障害と言うことで
医学的な「顕微鏡で追試できる病理標本の根拠」がなくても「治療」の対象とすることもある
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アスペルガーの場合にコミュニケーション障害があるけれども
知能が高いので社会生活を送れるなどという言い方をする場合があるが
どの程度のコミュニケーションができれば障害か障害ではないかのラインは恣意的なもので
やはり医学的概念ではないだろうと思う
顕微鏡でのぞけば
それぞれの人でずいぶん違うということが分かるだけで
共通の異変などは今のところつかまえられていない
前頭前野の活動がどうとか言われるが
まだとっても粗野な領域での測定である
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自閉性の系統とADHDの系統を混ぜてしまうのは
概念としてまずいと思うが
実際の場面では
きれいには分けられない感じもある
このような分け方が適切ではないような一群もあるのかもしれない
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最近では携帯に親和性が高い人が多い
一日でも携帯をいじっている
PCにも親和性がある
ひとつの意見によれば
自閉性障害の人は聴覚認識よりも視覚認識が優位だから
話す、聞くよりも、見る、読む、書くのほうが好きなのだと言われる
そのような点では生きやすくなったとは言える
しかし一方で
それで事が済んでしまうので
コミュニケーション能力は発達しないという事情もある
聴力に障害のある人は
PCと携帯のメールでずいぶん助かっているらしい
それと似たような事情がある
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しかしそうなると
pcや携帯に親和性のある群の別の特性、たとえば衝動性や攻撃性が発揮されて
一種独特な場所になる
その発信の仕方は病気の症状だろうと解釈される場面もしばしばある
不思議なくらいにハイテク機械の進行方向は
自閉性の世界なのだ
人間は元来が衝動性もあり攻撃性もあり惨めで汚いもので
8丁目のお姉さんたちは作り笑いをしなければならないのにできない都合もあって
身にしみているのだが
従来の出版・言論の世界は
そのような人たちの世界ではなかったので
いまよりすこしはましだったのだと思う
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図示するとはっきり頭に入るとか
図解してはじめて理解できるとかの人も少なくない
ブレインマップなどもこのような傾向に親和性が高いと言えるだろう
たとえばの話
音楽を一時間かけて演奏を聴くのではなく
楽譜を見て短時間のうちに感動するとか
そのような能力である