2010年6月19日土曜日天気曇りしかし湿度高く少し動くと汗が出る
オランダは優勝候補だけれど日本は精神力があるので勝つ
戦術はどうするかと話題が出ても、とにかく勝つだけです
とにかくもうここまで来たら勝つしかないでしょう、と意味不明な作戦を語り続ける
監督にインタビューしても何も意味のあるコンセプトを明かさず無意味な笑いを浮かべている
夜8時近くになると試合があるので山手線には誰も乗っていない
JRの駅では試合の音声放送が流されていて、電車に乗ると宣伝用液晶では試合を放映している
私だけが乗っていて私だけが観ている
レストランに立ち寄ったら客は誰もいない
店員も一人くらいしかないので諦めて家に帰った
外国人の他にほとんど誰も歩いていなかった
たまに歩いている人がいても携帯のワンセグで試合に熱中している
そんなわけで
家に帰ってテレビをつけたらまだ試合がつづいていた
1-0でオランダがリード
うちのバカ娘は鼻くそをほじくってティッシュペーパーの上に順に並べている
退屈らしいことがわかる
日本は前半じっと耐えて後半の今こそ反転攻勢の時なのだという
これも意味不明
選手交代をしてかき回すぞと言っているが全く何も変わらず時間が過ぎる
各選手が何を意図して動いているのか分からず退屈なので
昔のことを思い出していた
「ソクラテスのシュート!」とテレビで叫んでいて、ギリシャ人には今でもソクラテスがいるんだと思った
オーストラリアの試合だったか、その選手の兄弟がドイツで出場していると話していて
国が違って兄弟で参加しているという
この時代になって国別の対抗戦に何の意味があるのだろうと思う
兄弟ならば同じ国ではないか
移住の自由もあるしDNAもだいぶ混合が進んでいる
文化も食べ物も言葉も混合が進んでいるし民族というものもだんだん怪しくなっている
土台、人口が違うし経済力も違うしで、どのくらいスポーツ専業ができるかと考えれば
あきらかに条件が違うことになるわけで試合で何を競うというのだろう
大会が始まってすぐにオウンゴールもあり一体何をしているのか驚く
ドイツ対セルビアではゴール前でハンドがありペナルティキック
セルビアはすでに二回目のハンドとのことで世界大会でそんなことが起こるのかと驚く
二回もやるなんてセルビアはハンドの練習でもしているんですかねと解説者がいう
解説者といえば私は解説者の言葉を日本語としてのシンタックスは理解はできるが
気持ちに共感できないと思っていた
今日は解説を聞いていて、
「事実なんかどうでもいい、とにかく景気のいい言葉を並べてくれ、
理解力のあるやつなんてひとりも聞いていないのだから
パチンコ屋の呼び込みだと思ってやってくれ」と
言われたとすれば何を言うだろうかと想像して
なるほど、そういう状況ならば、こんなことを言うだろうなあと思うようなことを言っているので
分かったような気分になった
バスケットボールの試合が好きだという人の話では
サッカーの試合はイライラしてみていられない
随分時間が立っているのに1-0とか2-1とかで時間を損したような気分になる
土台、スポーツと言うものは実際にプレイしている選手が一番状況に詳しくて一番楽しいはずなのに
サッカーでは放送室から見ていればどこにバスを出せばいいかすぐにわかる
フィールドに居る選手にはそれが見えないから
それなりに必死にやっているとしてもつまらないプレイだということになるらしい
「そんなところにボールを出すなよ」と解説者は思ってしまうらしい
強くもないチームを義理があるというだけで応援を続けている人たちも本当に義理堅い
小さなことでイライラする人が増えているが
日本サッカーをテレビで見ていれば
それだけで充分にイライラ耐性を鍛えることになるだろう
こんなイライラはめったにない
人間は自分のバカがバレるようなことはなるべくしたくないものだが
テレビで放映されて
それをほめ殺しされるという運命なのだから
並の神経では出来ないことだ
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「ものは言いよう」というのは実際にそうで
完全に負けている試合でも1-0という数字を頼りにして
日本善戦、攻めつづけている、試合を支配している、流れは日本だ、と言い続けることができる
なかにはそんな態度を認知療法と考えている人もいるようで困ったものだ