アルゼンチンが敗けてシャワーを浴びて考えた
アルゼンチンタンゴは少し年取った男性と若い女性がやはり似合う
リードする側の確信というか自信というか教育者魂というか
結局は女性に献身しているのだけれど
コンチネンタルタンゴというものもあって
人によって意見は違うと思うが
大陸から南米へ、さらにそれが大陸へ、というような移動をしているらしい
その点ではタンゴとサッカーは似ているところがあると思う
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サッカーにおける熱狂は
宗教において作動する熱狂回路がフル回転しているのだろうと思われるフシがあり
そう考えると
タンゴとサッカーとキリスト教がセットになる
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日本では現在は政教分離とかで一応、宗教と政治は分離されていて
おもな宗教法人は表向き葬式仏教が多い
一方で新興宗教は洗脳ビジネスの手法を採用しているケースもあるとかの話で
そうなるとますます怪しい熱狂になり
人々の生活の表舞台からは退場するようになる
表舞台から退場すれば当然裏舞台になるはずで
裏と表の運動が発生する
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神道というものがあって短期間表舞台に踊り出て
現在は裏とも言えないし表とも言えない具合で
存在しているようなしていないような具合である
存在していないというのは非存在というのではなくて
あえて存在を隠匿することで引力を発揮するような存在の仕方といえばいいのか
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裏と表と言うよりも
周辺と中心と言ったほうがいいかもしれない
サッカーで日本チームを応援する人のどれだけの割合が
日本チームの個性とか戦術とか生い立ちとかに共感しているのだろう
どれだけの人たちがただ単に日本人だからというだけで応援しているのだろう
たとえばアジアだから応援するとか
そうした、単なる所属によって、単純に決定されるような帰属意識とか、一体感とかは
とういった構造を呈しているものだろう
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そう考えると日本は神の国とかの言葉が思い出される
そんな言葉を語るのは誰かと考えると
中心にいる人ではないと思う周辺の人が
中心にいる人の事を気にして語っているのだと思う
タンゴもサッカーもキリスト教も大陸に中心があり
南米は周辺だとも言える
ものごとは中心があるだけでは運動に発展しないのであって
周辺がいつでもあって運動が発生する
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中心にいる人間は存在証明を必要としないだろう
自分が何ものであるかは自明である
周辺の人間は多分そうではないだろう
存在の理由を考える必要があるし
自分が何ものであるかを証明する必要がある
そのとき国家とか宗教が存在の後ろ盾になってくれる
プロスポーツもそのようなものの一種で
心理的装置である
プロ野球で巨人が勝てば安心する
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よく知らないで当てずっぽうを言うのだが
沖縄の人の一部は
戦争中は親日本、戦後の一時期は親アメリカ、そして今は反米+反本土、
というような運動をしてきたと解釈される面があるかもしれない
もちろんそこには強制もあり本音とタテマエがあったわけだが
そこには周辺と中心の心理的運動法則が働いているかもしれない
朝青龍という人の心理の内部では何が中心で何が周辺なのだろう
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中心にいる人は多くは何も語らない
周辺が多くを語り中心に接近しようとする
サッカーでも南米、ドイツ、イングランド下層階級、イングランド上層階級というような周辺と中心の図式があり
そこを基盤として心理的運動が発生しているのではないか
この周辺と中心の図式はすっぽりと資本の関係でもある
宗教で言えば南米では一部でキリスト教とマルクス主義が融合したりもする
中心には空洞があるだけだというのが昔からの言い伝えである