所有権と図書館とインターネット

原始社会において

所有権がどのように発生したのか

なぜ発生したのかを考えると
やはりそこには暴力が関係しているように思う
暴力を警察や軍隊に共約化した場合に
社会的権利としての所有権が発生したが
その権利の源泉は歴史的認識というか経過認識というか
もともと誰のもので
いつ譲られたものだとかという
物語的な認識である
そのような物語的認識はいくらでも捏造できるので
要するに警察権力を握った側の勝ちということになる
暴力の共同体管理である社会から
個人を一定期間隔離したりする権利が発生する
普通は食料、メス、宗教的シンボル、土地、奴隷などが
所有権の対象となるものだった
所有権はたいてい貨幣との交換が可能である
夫婦の愛はもちろん所有権とは次元を異にするものになったのだけれど
トラブルを貨幣で解決する習慣が根付いたことも関係し
再び所有の観念の範疇に属したかの観がある
餌もメスも快適なねぐらも見晴らしのよい山のてっぺんも
猿にとってはみな所有の対象だったと思うが
芋を川で洗う知恵とか
自分が思いついた鳴き声とか
そんなものについて「所有権」を主張することはない
知的所有権とか知的財産権とか
発明した権利とか
そんなものを主張し暴力装置に保護してもらうようになったのは
極めて最近のことである
「真似をしてはいけない、どれだけの罰になる」という法律ができて
実際に裁判をして確定して
その上で初めて守られる権利である
歌を作った人の例で言えば
その歌を放送で流すことについては所有権が有効で著作権料が発生するが
どこかの個人が口ずさむからば著作権料は発生しない
商売に利用するかどうかで
決めているようだが
極めて根拠薄弱だと思う
俺の作ったものを利用して金儲けするならその一部は俺のものだというのだが
どの程度の金儲けが著作権料の対象になるのか
あるいは著作権料はどの程度が公正なのか
難しい
そして最近はコピー技術が発達している
音楽も絵画も文章もすべての発明もコピー出来る
どこまでコピーでどこからオリジナルか
たいへんむつかしい
勝手にコピーする、勝手に著作権法違反をしてしまう人を
見張って、見つけたら罰金を取って、勝手にコピーさせないようにする
ここで、コピーを許さないしくみを作ることを国家がやっているので
いったい誰のために国家はあるのか分からなくなる
コピーを許したくないならソニーのように独自規格で音楽にコピー防止信号を乗せることが必要だ
しかしコピーする技術は容易で
ソニーのコピー防止技術を回避していくらでもコピー出来たので
ソニーのコピー防止技術は立場が悪くなった
違法コピーした場合
著作権者は何も失っていないケースが考えられる
著作権料を失っているのだが
そもそも考えてみるとそれは自然な権利ではない
権利侵害だというのは
そのような権利を制定したからに過ぎない
その証拠に極めて簡単に破ることができて
破られたくない人がずっと見張っている必要がある
俺のものは暴力で守ることができるが
俺の流儀は暴力で守ることができるだろうか
真似をされるとして減るものでもない
むしろ価値は高まることがあるかもしれない
図書館にある知恵の総体は
コピーされて価値が減るものとも思えない
むしろ多く流通することによって価値が高まるものかもしれない
言葉などはそのようなもので
みんなで使うから有用になる
知的所有権が定められているから
それを前提として
投資をして特許申請の準備をして
お金儲けにこぎつける
だから支払いは必要だと言われる
なるほどそうだ
知的所有権のある世界とない世界とを比較すると
開発の欲求は知的所有権のある世界で強くなるだろうが
成果物の共有は知的所有権のない世界のほうが早く広く実現するだろう
どちらがいいのかというとなんともいえない感じもする
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製薬会社の例で言えば
国ごとに特許の認可が異なるので
薬価が異なったりしておかしなものだと思う